東近江市に注目の兄弟ランナーがいる。駅伝の強豪の駒沢大3年で、年始の東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)で総合優勝のメンバーとなった安原太陽選手(21)と、滋賀学園高3年の海晴選手(18)。
↑写真:中日新聞より(左兄安原太陽、右弟安原海晴)
先に広島市で1月22日にあった全国都道府県対抗男子駅伝には、滋賀県代表として揃って出場した。「兄弟というより一人のライバル」。湖国でかけっこをしていた兄弟は互いを高め合い、日本長距離界の最高峰を目指す。
★3歳差の兄弟は、同じ道を歩んできた。
陸上経験者の両親の影響で、幼い頃から家族で楽しみながら陸上をしていた。地元の「東近江陸上スポーツ少年団」に入り、本格的に競技を始めたのは共に小学3年の時。2人とも、滋賀学園高ではチームのエースとして活躍した。
滋賀学園高の大河亨監督は「2人は全く違うタイプだが、それぞれの良さがある」と印象を語る。
兄太陽選手については「走りが綺麗いでスピードがある。繊細さもあって、もっと、どんとしてもいいくらい」。一方、弟海晴選手のことは「ふてぶてしさと謙虚さがある。クラスの子からも応援されるような子」と例える。
「弟が追ってきたというより同じ決断をしたのだと思う」。太陽選手は言う。高校1年から全国高校駅伝で活躍した海晴選手もまた、自らの意志で駒沢大に進む道を選んだ。「同期で入る新入生には全国トップレベルの選手ばかり。一緒に戦えることが魅力」
中学、高校、大学と結果を残してきた太陽選手の記録を、海晴選手は次々に塗り替える。春からは同じチームの競争相手。「負けたら辞めるくらいの覚悟。悔しいけれど、自分のタイムを塗り替えてくれるのは嬉しい」と兄が言えば、弟は「悔しがって貰えるような走りをしたい」と意気込む。
そんな2人には、共通する思いがある。「お母さんへの感謝の気持ちを持って競技していること。3人で支え合って、陸上に向き合ってきたのを見てきた」。大河監督は振り返る。
太陽選手が中学生、海晴選手が小学生の時、父雅廣さんを亡くし、母かおりさんが2人を育てた。「中高生の時は食事面を気をつけてくれていた」と太陽選手。箱根駅伝などでは沿道での応援に駆けつけてくれた。
海晴選手も、もう直ぐ滋賀を離れる。「1人で育ててくれて、感謝しかない。母と支えてくれた滋賀の人たちに、結果で恩返ししたい」と活躍を誓う。
2人の目標は高い。太陽選手は「最終的に日の丸を付けたい」と話す。海晴選手がクロスカントリーの日本代表に選ばれ、刺激を受けている。
太陽選手は春までにハーフマラソンなどへの出場予定があり、「安定して自己記録を出せるようにして、最後の年にもう一度(大学3大駅伝で)3冠を取る覚悟で臨みたい」と語った。
海晴選手は春から大学生活が始まる。「1年目から活躍したい思いもあるけれど、まずは基礎から。将来は実業団で走りたい」と長い競技人生を描く。
★3年ぶりたすきつなぐ
全国都道府県対抗男子駅伝で兄弟がそろって走ったのは2020年以来。3年ぶりの安芸路で1本のたすきをつないだ。
弟の海晴選手は、長距離選手の「一流の証し」とされる5000mで13分台の自己記録を高校生で持ち、滋賀県高校記録の保持者でもある。
海晴選手は春から大学生活が始まる。「1年目から活躍したい思いもあるけれど、まずは基礎から。将来は実業団で走りたい」と長い競技人生を描く。
★3年ぶりたすきつなぐ
全国都道府県対抗男子駅伝で兄弟がそろって走ったのは2020年以来。3年ぶりの安芸路で1本のたすきをつないだ。
弟の海晴選手は、長距離選手の「一流の証し」とされる5000mで13分台の自己記録を高校生で持ち、滋賀県高校記録の保持者でもある。
2月にオーストラリアで開かれる世界クロスカントリーのU20日本代表に選ばれた。
↑写真:中日新聞より(右弟海晴)
広島でも指揮を執った滋賀学園高の大河監督から「チームのピンチを何度も救ってくれたゲームチェンジャー」と信頼され、5区を任された。
今季の全国高校駅伝(都大路)では14人抜きを見せ、広島では7人抜きの快走でチームの順位を押し上げた。駅伝で大崩れしない安定感を発揮してもなお、「都大路は2年の時よりタイムが遅く、広島こそはという思いだったが、納得の走りはできていない」と自分に厳しかった。
今季の全国高校駅伝(都大路)では14人抜きを見せ、広島では7人抜きの快走でチームの順位を押し上げた。駅伝で大崩れしない安定感を発揮してもなお、「都大路は2年の時よりタイムが遅く、広島こそはという思いだったが、納得の走りはできていない」と自分に厳しかった。
↑写真:中日新聞より(兄太陽)
兄の太陽選手は今季の出雲、全日本、箱根という3つの大学駅伝全てに出場。出雲駅伝では、5区で区間賞を取るなどチーム史上初の3冠達成に貢献した。チームメートには世界に挑む選手がいる。「ワンランク上の選手になって、少しでも差を埋めたい」と現状に満足していない。
広島では最長13kmのアンカーを務めた。前半の1kmあたりのペースを、箱根駅伝の時より速いおよそ2分40秒で入り「このペースでどこまでいけるか」挑戦した。3kmあたりまで保てたが、徐々に後ろの選手に追いつかれ、区間25位。「きつくなってからも粘り、もっと上げられるくらいにならないと」と成長を誓った。
<中日新聞より>