”スローライフ滋賀” 

【滋賀・近江の先人第274回】自分の行商姿を描かせ子孫を戒めた・細田善兵衛(滋賀県日野町)

 細田善兵衛は近江日野の細田勘左衛門の二男として生まれた。幼名は善吉。
細田家は代々綿売商をしていて屋号を和田屋と称していた。

 父細田勘左衛門の代に質屋に転業し、備中国(岡山)小田郡矢掛町に出店し、繁盛していたが善兵衛が16歳の時父が急死した。
これに先立ち長男の祐五郎も夭逝していたので養子の六蔵が家業を継いだ。しかし、火災などの被害を蒙り破産した。

 善兵衛は従兄で神崎郡大塚村の高村孫兵衛に寄食になった。善兵衛は孫兵衛を商人道の師として仰ぎ教えに従った。
善兵衛は孫兵衛から10両を借り、尾張、美濃、伊勢方面で半襟の行商を始めた。何不自由なく育った善兵衛だったが天秤棒を担いでの行商だったが始末に努めた。

↑細野善兵衛の行商姿(日野商人館出典)

 明治になり貨幣制度の変更に見まわれたが父の借金を金銀正貨で弁済し債権者から善兵衛の律儀さに感激し誉めた。
 善兵衛はその後、巨万の富を築くが子孫が奢侈に流されないように絵師に頼んで自分が天秤棒を担ぎ行商している図を描かせ掛け軸にして床の間に掛けて子や孫を戒めたという

 残念ながら筆者はその後の細野善兵衛の行く末を掴めていない。
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