近江の歴史の歴史研究家である「中島伸男」氏(東近江市在住)が滋賀報知新聞に連載した「妓王伝説」のルーツを探る記事を紹介する。
筆者は歴史について専門的に学んだことはないがこの「妓王伝説」についても疎かった。中島氏が独特のストーリで描く故国の歴史について新発見があり新鮮である。
近江の歴史探訪: 中島伸男
近江の歴史探訪「妓王伝説」のルーツを探る(上)
http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0042268
近江の歴史探訪「妓王伝説」のルーツを探る(中)
http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0042273
近江の歴史探訪「妓王伝説」のルーツを探る(下)
http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0042307
「中島伸男」氏は現役の東近江市の「野々宮神社宮司」の傍ら、近江の歴史研究を継続されており、近著では力作の「惟喬親王伝説を旅する(サンライズ出版)」を出版している。今回は前作の惟喬親王伝説に続くものになろう。
【過去ログ】 【滋賀・近江の先人第258回】木地師の祖・惟喬親王(東近江市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/02f2c69859d15fcb11d2b53c26096ad0
郷土歴史家が「惟喬親王伝説を旅する」出版
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/e5efce69c71d89ce502ca78b51d668cc
氏は東近江市の元「八日市郷土文化研究会」の会長も歴任した。
↑妓王伝説の「妓王屋敷跡」にある石碑(大正6年2月建立)
平安時代末期の「妓王(ぎおう)」は近江国野洲郡中北村(現・滋賀県野洲市中北)の出身であるとの伝承は有名と言われる。容姿にすぐれた白拍子(しらびょうし)の名手として、京の町中に知れ渡っていた。白拍子とは、今様(いまよう)という当時の流行歌謡を歌い舞を舞う男装(水干に立烏帽子、白鞘巻を腰に差す)の遊女である。「妓王」は平清盛の寵愛(ちょうあい)を独り占めにしていたらしい。
↑写真: Wikipediaより
妓王の史跡 近江国野洲郡(現・滋賀県野洲市)には妓王出生の地であるという伝承がある。明治27年(1894年)、野洲郡の中北村などの七ヶ村が合併して祇王村を称し、昭和30年(1955年)に野洲町と合併するまで続いた。
江戸時代前期の万治元年(1658年)に成立した「義王堂縁起」では、この地に流れる祗王井川は妓王が清盛に依頼して掘削させた用水路であるとされ、その完成の翌年に清盛によって妓王寺が建立されたとされる。妓王寺の近くには妓王・妓女の出生屋敷の跡の石碑が存在している。また『紀伊名所絵図』などには紀伊国粉河村(現和歌山県紀の川市)が出生地であるという伝承もある。
↑来迎寺(神戸市)妓王妓女塔
奥嵯峨の祇王寺には「性如禅尼承安二年壬辰八月十五日寂」という石碑が残されている。「性如禅尼」を妓王の事とすれば、承安2年8月15日(1172年9月4日)に死去したとされている。また自俳句の世界では「祇王忌」は旧暦2月14日とされ、春の季語になっている。また兵庫県神戸市の来迎寺には、妓王と妓女の墓とされる妓王妓女塔が存在している。
<滋賀報知新聞・Wikipediaより>