”スローライフ滋賀” 

中日新聞<遺構は語る 近江の戦時をたどる> (6)県立大名誉教授 中井均さんに聞く 公有地化し保存・活用を

 滋賀県内の戦争遺構は一部で地元住民らが維持管理しているものの、多くが存在を知られていなかったり、手つかずだったりする。
戦争体験のある人たちは高齢になり、遺構の先行きを不安視する住民も少なくない。
 戦時の様子を今に伝える遺構を、どう後世に引き継ぐか。県立大(彦根市)の人間文化学部名誉教授で、2018年に県内の遺構についての調査報告書に携わった中井均さんに尋ねた。
 
 −滋賀県内の戦争遺構にはどんな価値があるか
 大正の軍縮で陸軍第9連隊が京都に移転して以来、連隊がなかった滋賀県内にも数多くの遺構がある。日本中が「1億総動員」で戦争に染まっていたことの表れだ。
八日市飛行場布引掩体壕(えんたいごう)(東近江市)は代表的。視覚的に説得力もある。
 
 −保存する意義は
 いずれ戦争体験者はゼロになってしまうが、戦争があったという事実が忘れられてはならない。遺構は戦争の残酷さ、悲惨さを語り継ぐ生き証人だ。ただ、自分では話せないので、学者らが代弁できるよう、測量などの数値化、科学的な分析をすることも必要。崩壊の危機にある遺構もあり、われわれの世代でやらないといけない。
 
 −どのようにして残していけば
 遺構のある土地を公有地化して史跡にしてはどうか。民間の善意に頼らず、文化財保護法や市町村の保護条例で半永久的に守れる。行政側は地権者に遺構の歴史的な価値について理解を得なければいけない。地権者が不明の場合は、分かるところだけ「歯抜け」の状態で史跡にし、後から追加で指定する手もある。
 
 −米原市の蒸気機関車避難壕は市の文化財になった
 遺構保存の教科書的なケース。地元住民が一念発起し、まちづくりとして取り組んだのは画期的だった。
 
 −中井さんの専門は「中世の城館」。戦争遺構との共通点は
 戦国時代の城も、戦争を語る立派な遺構。最近の「お城ブーム」には危機感を持っている。景色がきれいだとか、誰が強かったとかではなく、戦争のために造られたという本質的な価値を見失ってはいけない。
 時代やイデオロギーによって遺構の見方は変わっても、人間が人間を集団であやめた場所であることは揺るがない。後世に残せば遺構の再評価もできる。
 
 −どう活用していくか
 公金を使う以上、活用しないと保存する意味もないと考えている。行政側は無駄な支出を減らせば、遺構にかかる費用も大きな負担にはならないだろう。
 遺構は見た人に戦争とは何かを問いかけ、考えてもらえる場所。語り部が第2、第3世代と移っても、ずっと第1世代の当事者だ。広島、長崎の原爆投下は知っていても、近所にある戦争の痕跡を知る人は少ない。平和教育の場として、まずは多くの人に現場を見てもらう取り組みが重要だ。
 
=終わり

<中日新聞より
 なかい・ひとし 1955年生まれ。83年、当時の米原町に入庁し、合併後の市教委で岩脇蒸気機関車避難壕の人権教育への活用を推進。2011年から県立大准教授、13年から教授を歴任し、今年4月から名誉教授。県平和祈念館運営委員。専門は考古学。大津市黒津。

<中日新聞より>
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