”スローライフ滋賀” 

【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第40回) 初めてのエジプトのカイロ

 1979年8月末、2年間のザンビアでの任務を終え、日本帰国までの西アフリカツアーの最終地はエジプトのカイロだった。あれから、40余年になるがアフリカは訪れていない。

 エジプトの「カイロ」へはモロッコのカサブランカからモロッコ航空機で北部アフリカも西から東にサハラ砂漠を横断した。
 「カイロ」には4日間ほど滞在した。当初の目的はカイロ経由で「ヨルダン」のアンマンにへ行くためであった。
 ヨルダンに行くにはビザが要るがザンビア出国前にザンビアではヨルダンの大使館はなく取れていなかった。エジプトに入国後、カイロにあるヨルダンの大使館でも取得可能だが、ヨルダン航空でヨルダンに入国すればアンマン空港で簡単にビザが取れることになっていた。
 そのためヨルダン航空を利用することにし、チケットを購入するためカイロのヨルダン航空の事務所に出向いた。
そこで事件に遭遇し驚いた。事務所が泥棒に入られチケットの予約や発見が出来ないと。。。。何日待てば良いのかとの問いに分からないと言う。そこで1日待つことにした。
 仕方がないので状況が分かるまでその間、カイロ観光をすることにした。翌日も同じ返事で見込みが立たず、西アフリカツーの全日程も遅れていたこともありヨルダン行きは断念した。事前に許可も貰っていたし目と鼻の先まで来ていたが残念だった。

 そんなことがあったがカイロは4日滞在し、このツーで初めて観光を楽しんだ。
 カイロはカサブランカとは別なエキゾチックな都市であった。モロッコは地中海系、エジプトはアラブ系の人種文化の感じがした。
 ピラミッドなどがある地域は驚くほどカイロ市内から近くにあった。
ピラミッドはさすが大きかったが写真でしか見たことがなかったスフインクスの実物は意外に小さく驚いた。ピラミッドにも登り、ツタンカーメンらのお墓にも出向いた。
 こんな砂漠の地に文字や印刷技術が生まれるなど文化があったのは驚嘆であった。勿論、地中海に面しナイル川もある都市だったので文明が生まれる条件としては整っていたに違いない。後年のクレオパトラのロマンなど想いに尽きない。

 そうして、1979年9月、2年間のアフリカ生活に別れを告げフランス航空パリ経由で帰国したのだった。当時、日本航空がカイロー東京便を飛ばしていたが搭乗出来なかった。理由はザンビアで発券したノーマルチケットでもザンビア通貨とドルの交換に時間が掛るため搭乗を遠慮すると。。。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「海外の旅」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事