滋賀県文化財保護協会は1月28日、栗東市の高野遺跡から「古代東海道の遺構」が見つかったと発表した。
↑写真:京都新聞より
滋賀県栗東市の「高野遺跡」で奈良時代から平安時代にかけての道路の一部とみられる遺構が見つかった。
今とはルートの異なる「古代の東海道」のものとみられ、これまで推定にとどまっていた場所が裏付けられた形である。
発掘調査が行われたのは栗東市六地蔵周辺にある縄文時代から近代にかけての集落遺跡、「高野遺跡」である。
見つかった遺構は、幅およそ1m、深さが20cmから50cmほどある溝の跡で、2本がおよそ15m隔てて平行し、東西方向に延びている。
調査にあたった滋賀県文化財保護協会によると、遺構は排水などに用いられた道路脇の側溝部分とみられ、一緒に見つかった土器の特徴などから、奈良時代から平安時代にかけて使われていた古代の東海道の一部とみられるということだ。
古代の東海道は今とはルートが異なり、今回の調査で栗東市内でこれまで推定にとどまっていた場所が裏付けられた形である。
古代交通に詳しい北海道教育大学釧路校の中村太一教授は、「見つかったのは古代の東海道とみて間違いないと思う。日本書紀にも登場する道路の可能性もあり、飛鳥時代以降、国家的な計画道路として使われ続けていたのではないか」と話している。
高野遺跡
野洲川左岸の扇状地にある縄文前期から近代にかけての複合遺跡。滋賀県栗東市高野、辻、六地蔵にまたがる。
1982年の初調査以降、古墳時代前期の大規模集落跡や奈良時代の倉庫跡などが見つかっており、この一帯が古代から生活や物流の拠点となる地域であったとされている。
古代東海道
奈良-平安時代に整備された七道の一つ。
滋賀県文化財保護協会の説明によると高野遺跡地域は野洲川と葉山川に挟まれた場所にあり、古代から川の氾濫が起きていたため安全な場所を求め、江戸期に整備された近世東海道の位置に移転した可能性があるとしている。
同地域で近世東海道は南に最大約200メートル迂回(うかい)した場所を通っている。
<NHK、京都新聞より>