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【滋賀・近江の先人第272回】明治の画人・中川耕斎(長浜市)

 中川耕斎(天保9年(1838年)ー大正11年(1922年)山階荘乾村(長浜市山階町)の百姓吉左衛門の長男として生まれた。幼名は梅之助。
15歳で元服し龍輔と改名。生来の虚弱体質で農業を不向きと悟り、幼少より絵画を好み隣村の川崎村の僧淡崖師から絵の手ほどきを受け梅塘と名乗った。

 20歳で彦根の絵師吉田雪斎に師事し、蓬仙と改め、25歳で上京し岸竹堂に入門耕斎と改号、浩然堂とも号した。浩然堂は耕斎を初代とした中川家の屋号となる。
27歳の頃、加賀や越前の北国街道や美濃地方を歴訪している。
20歳代の若さで多くの墨客と交友を深め、30歳明治維新の年には郷里に帰り地元で多くの門人を指導する。
30歳代は坂田郡の村組合総代や区の副区長などの公務も行っている。
40-60歳代には画業に励み、67歳で神照村村長に当選している。
 傍ら、大岡松堂、大音龍太郎、小野湖山、日下部鳴鶴、三上藤川、江馬天江らとの親交を深めた。

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