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米原の特産「近江真綿」の歴史に触れる 米原市の中学1年生115人

 米原市の双葉中学校1年生115人が10月20日、「近江真綿(まわた)」を作る「山脇源平商店」(米原市岩脇)と、米原市指定文化財「岩脇(いおぎ)蒸気機関車避難壕」(同)を訪れた。
生徒らは地元に残る歴史や産業について学び、伝統を未来へつないでいこうとする地域住民らの思いも体感した。

↑写真:中日新聞より(近江真綿)

 「真綿」は繭からつくった綿で、絹の一種。岩脇地区で江戸時代から作られる「近江真綿」は、彦根藩から他に類がないほど優れているとの意味を持つ「無類飛切御免細工(むるいとびきりごめんさいく)」のお墨付きを与えられたほど質が高かった。
明治時代初期には、地区内の7割の世帯が真綿生産に携わっていたが、現在米原市内で生産しているのは数社のみとなった。

 山脇源平商店では「近江真綿」を後世に残そうと数年前から、原料となる繭を生産するための養蚕から、一括して真綿づくりを手掛ける。
生徒らは山脇和博社長に、桑畑の案内や、真綿の生産方法の説明を受けた。
 藤沢結衣さんは「小さなカイコからみっしりとした繭ができるのに驚いた」、須藤萌々果さんは「真綿づくりに、200年以上の歴史があるのがすごい」と話した。

↑写真:中日新聞より(岩脇(いおぎ)蒸気機関車避難壕)

 「避難壕」は太平洋戦争末期、兵士や兵器を輸送する拠点だった米原駅の機関車を、空襲から守るために造成された。未完成で使われないまま、終戦を迎えた。2本のトンネルが岩脇山の麓に並ぶように掘られており、一方は貫通して長さ130m、もう一方は未完通で中断されており、奥行き50mほど。

 避難壕の整備に取り組む「いをぎ町づくり委員会」の藤本伝一さんらが、朝鮮の人々が作業を強いられたと地元に言い伝わる経緯や、壁に残る手作業の跡などを紹介。
久保絢良太(あらた)さんは「壁にツルハシの跡があり、大変な作業だったんだろうと感じた。今の平和な社会のありがたみも知った」と語った。

山脇源平商店
米原市岩脇1011−1

<中日新聞より>
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