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近江の地誌「淡海温故録」 光秀の多賀出身説記す

 近江の地誌「淡海温故録」は江戸時代、木村源四郎によって編纂された近江国の地誌で、貞享年間(1684~1688年)に彦根藩井伊家へ献上されたことが判っている。
 

 全部で11本の写本が知られる中、琵琶湖文化館が所蔵する1本(全8冊)は江戸時代末期ころに書写されたもので、精美な文字で正確に写された善本だ。村別に記述され、由緒ある社寺なども記されるが、主として戦国時代に地域で活躍した武士や土豪のことを詳しく述べているのが最大の特徴といる。

 中でも現在、特に注目を集めているのが犬上郡左目(さめ)(現在の多賀町佐目)の項目である。
ここに美濃国守護の土岐(とき)成頼(しげより)から離反した「明智十左衛門」が逃れ住んだという言い伝えが記されている。十左衛門の孫か曽孫の代に左目で生まれたのが、本能寺の変で知られる明智十兵衛光秀であるというのである。

詳しくは滋賀県立琵琶湖文化館発行の研究紀要第35号に記載さている。下記のサイトで読むことができる。
http://biwakobunkakan.jp/kiyou_img/35-2_biwakobunkakan_kiyou.pdf

<朝日新聞滋賀等より引用>

「明智光秀、出生地の通説に異論 鍵を握る一族の口伝とは」

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