「弘誓寺」は、覚如上人の高弟「愚咄賢空坊」(源平の合戦で有名な「那須与一」の孫)の開基により正應3年(1290年)に創立されたと伝わる。
正応3年(1290年)、「源平の屋島合戦」で有名になった「那須与一」の孫の「愚咄坊」(ぐとつぼう)(俗名・那須資長)が開基となり、
正応3年(1290年)、「源平の屋島合戦」で有名になった「那須与一」の孫の「愚咄坊」(ぐとつぼう)(俗名・那須資長)が開基となり、
正応5年(1292年)に現在の「弘誓寺」という寺号を受け、神崎郡の躰光寺(たいこうじ)村(現東近江市)に移った。当初は安食庄石畑(滋賀県犬上郡豊郷町石畑)にあったものが、天正9年(1581年)に現在地の金堂にに移転したとされている。
愚咄は『平家物語』の「扇の的」伝説で知られる弓の名手・那須与一の子孫の一人にあたるとされ、彼ら那須与一の子孫がこの地方にそれぞれ建てた寺院を「近江七弘誓寺」と呼び、
東近江市内では五個荘の他、建部、瓜生津、躰光寺、小田刈、中一色にある同名の「弘誓寺」、これに彦根市の「法蔵寺」(文明年間に寺号を改めた)をあわせたものが「近江七弘誓寺」に該当している。
現存する弘誓寺(東近江市五個荘金堂町)の本堂は、江戸時代の宝暦5年(1755)、近江八幡を拠点としていた大工・高木作右衛門(代々にわたって「高木作右衛門」を名乗っているので時代の異なる同名の人物が複数いる)によって建てられたもので、国の重要文化財として指定されている。
愚咄は『平家物語』の「扇の的」伝説で知られる弓の名手・那須与一の子孫の一人にあたるとされ、彼ら那須与一の子孫がこの地方にそれぞれ建てた寺院を「近江七弘誓寺」と呼び、
東近江市内では五個荘の他、建部、瓜生津、躰光寺、小田刈、中一色にある同名の「弘誓寺」、これに彦根市の「法蔵寺」(文明年間に寺号を改めた)をあわせたものが「近江七弘誓寺」に該当している。
現存する弘誓寺(東近江市五個荘金堂町)の本堂は、江戸時代の宝暦5年(1755)、近江八幡を拠点としていた大工・高木作右衛門(代々にわたって「高木作右衛門」を名乗っているので時代の異なる同名の人物が複数いる)によって建てられたもので、国の重要文化財として指定されている。
現在も「近江7弘誓寺」の全寺共、今なお「那須家」が僧侶を務めている。
7寺中5寺は訪問済であり以下に紹介する。
近江七弘誓寺
1.弘誓寺(浄土宗): 東近江市建部下野町282
【東近江・寺社総巡り】第58回・弘誓寺(東近江市建部下野町)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/dd9974ff5b980682726d49a927b03d19
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/dd9974ff5b980682726d49a927b03d19
2.弘誓寺(浄土真宗大谷派): 東近江市五個荘金堂町615
【東近江・寺社総巡り】第225回・弘誓寺(東近江市五個荘金堂町)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/d/20200414
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/d/20200414
3.弘誓寺(浄土真宗本願寺派): 東近江市瓜生津町1314-1
【東近江・寺社総巡り】第75回・弘誓寺(東近江市瓜生津町)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/4fea21face926c1735577df5076a4619
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/4fea21face926c1735577df5076a4619
4.弘誓寺(浄土真宗大谷派): 東近江市中一色町380
【東近江・寺社総巡り】第224回・弘誓寺(東近江市中一色町)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/6aff1ecc51f84912f7c94f4ab90fb6f1
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/6aff1ecc51f84912f7c94f4ab90fb6f1
5.弘誓寺(浄土真宗本願寺派): 東近江市躰光寺町990
6.弘誓寺(浄土真宗本願寺派): 東近江市小田苅町413
【東近江・寺社総巡り】第149回・弘誓寺(東近江市小田苅町)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/59d47e6c2cb19bb10d7e279d8b6e6aad
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/59d47e6c2cb19bb10d7e279d8b6e6aad
7.宝蔵寺(浄土真宗本願寺派): 彦根市川瀬町1195 *元弘誓寺(1472年(文明4年) - 寺名を法蔵寺に改名)