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壬申の乱・悲運の皇子「大友皇子」しのぶ 近江神宮で「弘文天皇祭」(大津市)

 大津が廃都になった古代最大の内乱壬申 の乱」(672年)から1350年。
敗戦を受けて自死した「
大友皇子」(648~672年)の命日とされる24日、縁が深い大津市の近江神宮などで、悲運の皇子をしのぶ祭儀が営まれた。

 「
大友皇子」は大津へ遷都した天智天皇の子で、優れた漢詩を残した。叔父(天智天皇の 弟)「大海人 皇子(天武天皇」)との間で起きた乱に負けて自害。都も奈良・飛鳥へ戻された。

 天皇に即位したか不明確だが、明治時代に「
弘文天皇」として皇位の歴代に加えられ、陵墓も定められた。天智天皇を祀る同神宮では毎年、命日とされる8月24日に「弘文天皇祭」を営んで慰霊している。

 今年は約30人が参列。神前で佐藤久忠宮司が祝詞を、皇子の子が創建したと伝わる三井寺の僧侶は表白をそれぞれ読み上げた。滋賀県吟剣詩舞道総連盟の関係者も皇子の漢詩を吟じ、「
日本漢詩の祖」を称えた。

 弘文天皇祭の前には、皇子が眠るとされる大津市御陵町の「
長等山前陵」で宮内庁職員による祭儀が営まれた。
 「
大友皇子」は自死せず地方へ逃げたとの伝承もある。
近江神宮の「時計館宝物館」では12月4日まで、写真などで伝承地を紹介する企画展を開いている。

問い合わせ: 近江神宮(077ー522ー3725)
https://oumijingu.org/
大津市神宮町1−1

<読売新聞より>
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