”スローライフ滋賀” 

【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第62回) 湾岸戦争時のエアラインダイバーシティ

 湾岸戦争は、1990年8月2日のイラクによるクウェート侵攻をきっかけに、国際連合が多国籍軍の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆して始まった戦争である。

 私は湾岸戦争が勃発した1991年1月に転勤異動発令予定で、後任者をアメリカ西海岸のビジネスパートナーに引き合わせ、引き継ぐ必要があった。
そのためどうしても米国のオレゴン州のポートランドに行く必要があった。

 しかし、日本政府は海外渡航自粛を要請を発出していた。
アメリカの航空会社へのテロ危険を避けるため政府、企業は渡航の自粛や延期の他、どうしても渡航するときは非米国系航空会社の利用が推奨された。
 また、会社側も社員に渡航自粛を勧めたが米国系航空を避け出張を決行することにした。理由は相手側への引継ぎなしでの異動は今後のビジネス活動に良くなく、後任者も苦労をすると考えたからである。

 よって、私は成田からシンガポール航空、後任者はANAに分かれて別々の便で飛んだ
通常はユナイテッドのポートランドの直通便で渡航していたがその時、私はロスアンゼルスかサンフランシスコ経由、その後、アラスカ航空乗り継ぎでポートランドに入ったことを思い出す。セキュリティチェックはものもしく混乱していた。世の中も緊張していた。

 出張は無事終わったがそれでも各企業ではこの戦争の影響等を受け、私の人事異動発令も数カ月遅れてしまった。私の異動先の前任者は予定通り1月に発令され、私が着任するまで数カ月間責任者不在状態が続き上位者が代行してくれていた。湾岸戦争の影でこんなこともあったのである
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「海外の旅」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事