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【滋賀・近江の先人第48回】わが国繊維産業のリーダー・阿部房次郎(彦根市)

阿部 房次郎(あべ ふさじろう、慶応4年(1868年) - 昭和12年(1937年)は、明治・大正・昭和期の実業家、東洋紡績社長。政治家。
 
 
 
近江国彦根(滋賀県彦根市)出身。彦根藩士辻兼三の長男として慶応4年(1868年)に生まれ、明治28年(1895年)、伊藤忠兵衛の紹介により金巾製織(かなきん)の発起人の阿部市太郎(明治維新期の近江商人・実業家)の養子となる。
 
慶應義塾を卒業後、紡績事業に携わり、1904年金巾製織に専務として入社。その後、東洋紡・昭和レーヨン・裕豊紡の各社長、王子製紙・上毛電力・湖東紡の各取締役など我が国繊維産業のリーダーとなり、大阪商工会議所顧問などを務め、大日本紡績連合会会長として活躍した。
インドやビルマをはじめ海外への販路を開き、綿布の輸出を促進した功績は大きい。
また、金巾製織では田附政次郎(東洋紡・日清紡・兼松創業に関与)・藤井善助(大阪金巾(カナキン)製織、江商(ごうしょう)(のち兼松江商)、山陽紡績などの創立等に参画)を起用し次世代の人材を育成した。
1931年に貴族院議員に勅選されるなど政界でも活躍した。
 
ヒストリー
明治26年(1893年)慶應義塾卒業
明治27年(1894年)近江銀行入行
明治28年(1895年)阿部市太郎の養子
明治33年(1900年)近江精油取締役
明治34年(1901年)阿部製紙(王子製紙の前身のひとつ)専務
明治37年(1904年)経営不振の金巾製織に専務として入り、再建に尽力する。
その後、
金巾製織は明治39年(1906年)に大阪紡績と、大正3年(1914年)に三重紡績と合併して東洋紡績が発足、山辺丈夫社長の下で専務となり、南洋、中国、インドにも販路を広げ綿布を輸出。
大正15年(1926年)に東洋紡績社長に就任。
また昭和レーヨン、裕豊紡各社長、上毛電力、王子製紙、湖東紡各取締役、大阪商工会議所顧問、大日本紡績連合会会長などを歴任した。
昭和6年(1931年)には勅撰貴族院議員となる。
 
長男の阿部孝次郎も東洋紡績社長歴任。
 
<Wikipedia等引用>
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