滋賀県近江八幡市の「八幡山の景観を良くする会」縦走路整備チームが取り組んでいる「八幡山城出丸跡」の石垣を見えるようにする整備作業が進み、麓から山城のようすが分かるようになった。
↑写真:山麓から見えるようになった出丸の石垣(滋賀報知新聞より)
整備作業は、2年前の「西ノ丸跡」から始まり、茂っていた竹を伐採し、びわ湖や比良山系が一望できるようになったことを機に、昨年12月から「西ノ丸跡」から少し下ったところにある「出丸の石垣」整備に移った。
作業は毎月第3木曜日、同会のメンバーを中心に15人前後がボランティアで参加。石垣の周囲を覆っていた雑木を切断するチェーンソーや土砂を取り除く鍬(くわ)、スコップを持ち寄り作業を続けている。
作業開始から1年間が経った今、大きな出丸の石垣が姿を現し、その景観が麓からも見られるようになった。
世話人代表の村西耕爾さんは「始める前は、
一面に雑草が茂り、目前は雑木や草ばかりで眼下は何も見えなかったが、作業を進めていくうちに段々視界が広がるようになり、今では長命寺から『きてか~な』まで一望できるようになった。これまで麓から眺めても雑木で城跡らしきものが何も見えなかったが、これで、近江八幡は城下町であったことが多くの人に知ってもらえるのではと思う」と話している。
「八幡山城」は、天正10年(1582年)の安土城焼失から3年後、安土城に代わる近江の拠点として「豊臣秀次」が築いた山城で、頂上部には本丸、二ノ丸、北ノ丸、西ノ丸、出丸の遺跡が残され、それぞれの遺跡からの眺望に人気がある。中でも西ノ丸、出丸から一望できるびわ湖の景色を眺めに訪れる人も多い。
現在、西ノ丸から出丸への散策路は、西ノ丸の石垣の一部が崩れ落ちていることから一般の通行が規制されている。
<滋賀報知新聞より>