元旦の能登半島地震に始まった令和6年でしたが、私にとっても激動の一年でした。
2月に新型コロナ感染症に感染して、あっという間に、肺まで病気が広がったため、治った後も、後遺症が続きました。短期記憶が極端に落ち、文章を書くのも、辛い状況がしばらく続きました。
7月にはカナダに移住している次女が一時帰国して、自宅で寝泊まりしたので、彼女の時差ボケを貰い、身体の疲れはピーク状態で、孫娘との生活も十分楽しめませんでした。
コロナ後遺症による集中力の低下、猛暑、時差ボケで、このまま認知症に陥るかという不安がよぎり、最悪の心理状態でした。
9月市議会が始った頃には、集中力の低下はほぼ通常に復帰したのですが、議会での状況をありのままFBなどに書いたのため、これを問題視されることになりました。
議場の音響システムの改修の影響で、一般質問の質問者に、残り時間の表示がされなくなり、大変不便な状態でした。そのため、私は登壇中に、気持ちの動揺を生じ、4項目の通告の内、3項目を省略する判断をしました。4項目目の内容が、原発事故に備えてた安定ヨード剤の備蓄を問う内容だったこともあったと思います。2名の議員が議席で大声で、私語を始め、私の一般質問が終了するまで、大声の私語を続きました。議長は私語を制することもない中、私は一般質問を続けました。
私は、ほぼ同日に、その様子をブログに書いたのですが、私語を続けた議員の党名を実名で表記したことが、問題となったようでした。
その後の予算決算委員会で、一般質問で私語を続けていた議員が、予算決算委員会での発言の言葉尻を捉えて、予算決算委員会理事会の議題として計るように動議を出し、動議は認められました。
予算決算委員会理事会では、結論は出されず、議会運営委員会で、審議されることになりました。議会運営委員会でも、特別の結論が出されることがなく、事務局から、議長と話し合いを持つよう指示され、事務局長、次長の立ち会いの元、議長と私の二者会見が行われました。
議長からは「ブログ、ビラ等などで議会内の様子を広報することは、やめるように」「もう2期目なんだから、容赦しない」「衆議院議員選挙も近い」「一人会派だから、、、」という言葉も出ました。
議長との話し合いで、一般質問で、私語発言が続いた件の私語発言者の所属政党名は削除することにし、実行しました。そのお二人は今までも幾度となく、私の一般質問で、私語発言があった政党ですが、議長は一度も注意していませんでした。
予算決算委員会の件は、些細なことでしたが、事務局は急遽文字起こしをして、議事録を作りました。その議事録と違う部分は、訂正しました。私の感想の部分を直すよう議長は迫りまって来ましたが、それはお受けしませんでした。
12月議会の一般質問で、建設予定の市民ホールについて、質問した際、ホールを含む文化複合施設建設費が
217億円の高額の予定が発表されていました。市民ホールに大型児童センターや子ども家庭センターを併設する大型施設案は辞めて、市民ホールだけ建設し、児童センターは市内の民間の空きスペースを利用し、子ども家庭センターは既存の公共施設内に設けることを提案しました。
その際、市長はかつて、箱物行政を批判した活動をしていた、との情報を得ていたため、「初めて政治を志した原点に戻って欲しい」との気持ちを込めてお話ししました。
平成19年、現在の市庁舎建設を論点に行われた市長選挙がおこなわれました。当時の現職市長に若い新聞記者候補がわずか300票の僅差に迫りながら、惜敗しました。この候補を若い頃の大勢待市長が応援していた、と立憲民主党所属の衆議院議員から伺いました。それで、大勢待市長に伝えすると、笑って「宜しく」とお答えてになったため、私は、大勢待市長が若い新聞記者候補Fさんを応援していたことは事実と思っていました。
私の一般質問の後、議場の私の席まで、いらして途中から選挙運動に加わらなかっ事情を話してくださいました。私は訂正を申し出ましたが、議事運営委員会で、審議が必要ということで、議会運営委員会で認められた後、発言訂正いたしました。
この選挙は、青梅市にとって大きな分岐点でした。オフィス用建物を対象にした賞を受賞するような立派な建物ですが、建築費が嵩み、青梅市には贅沢すぎるものでした。そのため、市の財政は火の車になりました。
その後、⚪︎民民主党の市議会議員の方が私に対する問責決議案を議員提出議案として、提出され、議会最終日の12月20日に本会議で審議されました。項目に挙げられているものは、全て、その場で訂正したり、遅参については、謝罪してあるもので、改めて、問責決議にかけるのは、1人会派イジメ以外のなにものでもありません。
審議は私を議場から退出させ、発言など認めずに行われるました。採決に際し、共産党は退場し、棄権した中、全員賛成という形で採択されました。
議場には、地方新聞2社がよばれていて、議案の提案者は知り合いにふれ回ったそうで、25区立憲の党幹事長から問い回せがありました。
地方議会での問責決議は、少数会派イジメの道具に使われて、多数派はやりたい放題の無礼が通用する議会運営が各地で横行しているようです。
今年は、年の瀬が迫るまで、慌しい年でした。