《司会者に思う》
先日ニュースを見ていたら、いじめで川に沈められ、奇跡的に助かった男の子のお母さんが出ていました。
私は、近年のこういうニュースは、親御さんの事を想うと、辛くてテレビの画面を見ていられませんでした。
でも、そのお母さんは、皆さんに見て欲しくて、行動に移したそうです。
私は、この時、見る事が務めの様な気がしてテレビを見る事にしました。
とても、辛かったです。
でも、奇跡的に助かり、本当に嬉しくおもいました。
記憶的に現時点では、いろいろ問題はあるようですが、でも助かり、生きていて本当に本当に良かったです。
司会の人や法律に詳しいコメンテーターさんも皆、被害者さんや加害者に対し、私と同じ思いの意見を言っていました。
その後私は、自分の子供達の事を思いながら、事件の被害者の親御さんや、加害者の親の事を思っていました。
近年、このような事件の加害者の親は、今どんな思いだろう。
自分の立場の苦しさが第一でなければ良いと思ってい ます。
被害者の親御さん達への想いを第一に考えた時に、加害者の親子関係が一歩前進してる気がしています。
そんな事を、考えながらテレビを見ていたら、話題が次のコーナーへ行き掛けていました。
その時、司会者もコメンテーターさんも、笑って次へと進行していました。
心を切り替えるのも、司会者として必要で、きっと心が辛かったとは思いますが、今時の司会者は、進行に対し、意見を言う力も大きい様に感じます。
せめて、CMを入れるなどの、構成上の心遣いは必要ではないかと強く思いました。
”心の中に 描いてた 未来への夢を
ひとつひとつが 叶うよう 星に祈る
桜の花 ちりながら 季節はめぐる
わすれない
あなたが くれた 優しさを”
「わすれない」 歌詞・歌 藤あや子
(出身地の震災に想いをはせ作った作品との事)
《ニュースの原稿用紙に思う事》
北海道では、今、旭山動物園のフラミンゴの1羽が脱走(?)して、北海道の2ヶ所に移動して現れています。
先日、そのニュースの映像が流れ、ニュースを読む、アナウンサーさんの声だけが流れました。
その中で、中々捕獲が出来ない人達とフラミンゴの様子を「フラミンゴは人間を”あざ笑うかの様に”飛んで行きました」と評されていました。
その言葉は、次のニュースでも同じ原稿用紙の様で、同じ文章で読まれていました。
もしかしたら、”あざ笑って”いるかもしれませんが、私は(自分1羽だけで心細いだろうな~)って想いで見ていました。
もし原稿で一言「プロから見て”あざ笑ってるんですよ”との事だそうです」と言われたら、逆にホッとしますが、違う場合もあります。
簡単に”あざ笑う”と言う言葉はフラミンゴさんの為に、使わない方が良いと思いました。
故意に脱走したかは定かではありませんが、きっと想像した以上に、自然界は厳しく、もし旭山動物園に戻りたい場合は、衰弱する前に、安全に捕獲され仲間と再会出来ると良いと思いました。
今は同じ場所に数日間定着していて、先ほど、旭山動物園から、仲間のフラミンゴが3羽、おとりの為、来たようです。
フラミンゴは集団生活の習性があるそうです。
本来、どちらが幸せかは、分りませんが、もし故意に脱走していたとしても、脱走経験後、仲間の元に戻りたいと想っていたなら、それが叶うと良いなぁ~って思っています。
足なども細く、捕獲も大変そうですが、怪我をしませんように!