二日目は、ばーちゃん今までに聞いたことのないお城跡、『湯築城』跡地に行くんだって。
松山城よりずっと古い平安のころから松山を支配していた河野氏という人が城主で、河野氏は知らなかったけど、『村上水軍』という強烈な海賊はばーちゃん知ってた、その海賊が手下だったんだって。
松山城ができる前の、徳川氏が戦国時代を終わらせたその前に滅ぼされて、『湯築城は、打ち壊されて廃城にされたんだって。
どなたの意向か、その後近代になるまで立ち入り禁止地区になっていて、竹やぶだらけのうっそうとした山城跡を、観光のための城址公園《道後公園》にしたんだって。
お城もない廃城跡地だけど、百名城になってるって、ボランティアさん誇らしげ^^。
こんもり山を囲んで堀があり、その外側には武家屋敷が復元されていて、五、六百年も前のものなので、土台石しか残っていないところからかなり忠実に再現されたみたい。
親切なボランティアのおじさんがついてくれてたのに、おばちゃんが質問攻めにしておじさんへこませちゃった。
そこにふらり、とした態でタイミングよく館長さん登場。
土塁の仕組みや積み上げた年代の見方という、かなり専門的な話までしてくれて、おばちゃん満足気。
ばーちゃん思うに、ボランティアのおじさん、どっかで内緒に館長さんにヘルプ~~!ってお電話したんじゃないかな、だって。
そのあとも、公園半周するくらいまでボランティアのおじさんが付いてきてくれて、廃城に行く石段まで連れてってくれたのにゃ^^。
段々を見上げたばーちゃん、昨日16000ポ歩いたあんよが、きょう耐えられるのかなぁ・・・。
「いけるイケル^^。」
おばちゃんもおかーさんも、無責任に請け負ってくれてるけど、山道では、救急車来られないよ?。
尻込みするばーちゃんを、おかーさんがお袖につかまらせて、手すりもないだんだんをえっさえっさ。
杖があって大助かり。
ゆっくりゆっくりではあったけど、ほとんど休まずに20分ほどだったかなぁ?。城跡らしいところにできている展望台に到着。
展望台からは松山の街が一望、松山城も、よく見えたにゃ。
てっぺんは城跡にしてはかなり狭いので、少し下の小広いところが城跡で、ここは物見櫓でもあったのかな?。なんて勝手な推測。
この後山を下り(おとぎ話と一緒で、行きはすったもんだ、帰りはすたっと帰るんだよにゃ^^。)
麓にあった《子規記念館》にちょっと立ち寄り。
のつもりが、やっぱりどこ行ってものめりこむ人約1名^^。
ばーちゃん疲れちゃって、お休みどころ見つけて一人でへたり込んでいたら、テーブルの上に、一口話のような、逸話が数話。
ゆっくり読んでいるうちにあんよの疲れも収まって、みんなを探してお外に出たのはもう1時過ぎ。
暇だったばーちゃんが、アンケート書いてたので、謝礼にもらった絵葉書が、『四十島』。子規と仲の良かった夏目漱石の小説、『坊ちゃん』の中の《ダーナー島》のモデルなんだって。
にゃんにはなんのこっちゃなんだよにゃ^^。
続く
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