ゆのひらんおばちゃん Part3

創業70年の土産屋を 2023年3月末で閉めました。『夫婦で余生を どう生きるか』を模索していきます。

水害後 4年間の庭作り

2024-07-07 | 
両親が作った庭の上の段。



2020年7月7日 大水害の避難中に あっという間に流れ去り



更地に戻し



1年半後に防波堤が完成し



菜の花畑に挑戦し成功しました。うれしかった~。





しかし、翌年の菜の花は うまく咲かず😢


今年は『レンゲ畑』に挑戦するも 納得いく出来ではなく


そして今は『モッコウバラ』に挑戦しています。


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下の段の庭も



流れ去り



菜の花畑になり



その後は クローバー畑に。





あっという間の4年でした。まだまだ庭作りは続きます。











四年前の七夕飾り

2024-07-07 | 悲しい出来事
もうすぐ七夕🎋だなぁ…と思っていたら もう今日になっていました。

今年の七夕🎋は好天で お空の あの二人も 一年ぶりに逢えますかね。


七夕の日になると、昔は子供の為にとか、店頭の賑わいの為にとか、ソーメン流し大会の飾りとか 我が家も張り切って七夕を飾ったものでした。

下の短冊は四年前の七夕飾りの短冊です。『コロナ退散』『病魔退散』『(東京)オリンピックが開かれますように』『水害がありませんように』などなど。

しかし、これらは飾られることはありませんでした。




四年前の 7月7日の夜に湯平温泉は未曾有の大水害に襲われました。7日の朝、店の二階からの光景です。前の晩は 流れる巨石の振動で店が揺れ眠れませんでした。川岸に住んでいた者は恐怖そのものでした。



もちろん 停電でした。



避難することを決心し、7日の夕方から大分市内の娘宅に向かいました。その時点では まさか あの災害になるとは誰も思っていません。

7日の夜中には遠くで雷が鳴っていました。その夜に避難中の家族四人に悲しいことがおこりました。

あれから丸4年経ちました。この日になると あの四人のことを思い出し、偲ぶことしかできません。

(写真を お借りしました)





先日 ネットで 当地の石畳通りに観光協会が七夕飾りを飾ったことを知りました。夫が撮りに行きました。



店を辞めたら そんな光景もネットだけで知る寂しい時代になりました。


うちで 夫に声をかけて 短冊を書いたとしても

『健康第一』 『夫婦仲良く』『ボケずに長生き』『県内道の駅 踏破』くらいでしょう。