うちの地域では、年度ごとに隣組長の役が各世帯へ回ってくる。
前回までは父親が隣組長を務めていたが、一昨昨年に父親が亡くなったため、昨年度、初めて私が隣組長を務めることになった。
しかも、昨年度の初め、いきなり別の隣組と合併することになり、一気に大所帯となった。
訳の分からない状態になったこともあったけれど、どうにかこうにか一年間、無事に務め上げることができた。
ここ数年、共助という言葉を聞くことが多くなった。
地震や水害などの災害が発生したときに、自分のことは自分でやるという自助、役所などの助けを借りる公助とともに、地域の力でともに助け合う共助が必要となってくる。そのためには、普段から地域コミュニティの活動に関わっておくことも大切である。
ただ、地域活動に関わる一部の人たちにいろいろと負担が偏ってしまうのも、地域のあり方としては良くない気がする。負担の偏りによって不満が燻れば、システムの崩壊に繋がってしまうことになるから。
少子高齢化と人口減少で、地域コミュニティを維持していくのも、徐々に難しくなってゆくだろう。その時代に合ったあり方を、考えていかなければならない時期に来ていると思う。
前回までは父親が隣組長を務めていたが、一昨昨年に父親が亡くなったため、昨年度、初めて私が隣組長を務めることになった。
しかも、昨年度の初め、いきなり別の隣組と合併することになり、一気に大所帯となった。
訳の分からない状態になったこともあったけれど、どうにかこうにか一年間、無事に務め上げることができた。
ここ数年、共助という言葉を聞くことが多くなった。
地震や水害などの災害が発生したときに、自分のことは自分でやるという自助、役所などの助けを借りる公助とともに、地域の力でともに助け合う共助が必要となってくる。そのためには、普段から地域コミュニティの活動に関わっておくことも大切である。
ただ、地域活動に関わる一部の人たちにいろいろと負担が偏ってしまうのも、地域のあり方としては良くない気がする。負担の偏りによって不満が燻れば、システムの崩壊に繋がってしまうことになるから。
少子高齢化と人口減少で、地域コミュニティを維持していくのも、徐々に難しくなってゆくだろう。その時代に合ったあり方を、考えていかなければならない時期に来ていると思う。