午後の紅茶の広告の嫌なところは、敢えて言えば「こんな風にお互いの陰口を叩き合うような発想は、女の子に受けそうだよね」と一方的に決めつける視点が感じられる点だろうか。身の回りをネタにした毒舌漫画やエッセイならまだしも、一般向け広告でこういう視点を持ち出すのは感覚がちょっとズレている
— Shin Hori (@ShinHori1) 2018年5月1日 - 11:14
「いじめたつもりはなかった」系の人の返答だわ。>当該のツイートは「午後の紅茶に親しみを感じていただくためにイラストレーションを活用した」企画であった。企画段階から「しかるべき社内手続き」をしていたが、こうした炎上は予期できていなか… twitter.com/i/web/status/9…
— 鈴木祐介 (@7_color_world) 2018年5月1日 - 12:37
いじめでも全てのハラスメントでも、被害に遭った人がそう思ったなら、そう感じたなら、それはいじめでありハラスメントなのです。
— みなみ 海 (@cocoro_zasi) 2018年5月1日 - 17:07
それを決められるのは、嫌な思いをした側だけです。
だから、私たちは常に自分の加害性に敏感であるべきだし、自覚的であるべきなのです。
炎上案件の謝罪って、なぜダメだったのかを理解・説明せずに、「不快に感じたなら申し訳ない」のテンプレだから余計炎上する。
— Nikov (@NyoVh7fiap) 2018年5月1日 - 18:21
不快を感じた(被害)側に立っていないから。じゃあ、何も言わなかったら、アクション起こさなかったら、謝らなかったのか?って二重に不信と不快が残る。だから説明や経緯を飛ばした謝罪は、納得出来ないし意味を持たなくなってしまうのです。 twitter.com/NyoVh7fiap/sta…
— みなみ 海 (@cocoro_zasi) 2018年5月1日 - 22:27
社会の公平公正や正義や人権や人道は、政治家やエライ人が作るんじゃなくて、普通の市民が生活の中で守っていくんだよ。そんなに難しい話じゃなくて、誰かをいじめない、差別しない、人のものを奪わない、他人の尊厳を守る、嘘をつかないなど、子供に言うことを自分たちが守るよう努力するって話で。
— mipoko (@mipoko611) 2018年5月1日 - 16:06
(社説)憲法70年 25条の意味、問い直そう:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/DA3S1…
— 稲葉剛 (@inabatsuyoshi) 2018年4月30日 - 13:58
生活保護世帯を減らすことばかりが政策目標とされる中、必要な世帯に行き渡っていないことを問題視し、どう利用者を増やすかという議論を行政と民間が進めているのは画期的。福祉行政とは本来、こうあるべきだという全国のモデルになってほしい。 twitter.com/inabatsuyoshi/…
— 稲葉剛 (@inabatsuyoshi) 2018年5月1日 - 09:48
寛容って他人の権利や自由に土足で踏み込まないことだと理解してる。好き嫌いとは別の話。
— なないお🍀 (@Nanaio627) 2018年5月1日 - 21:18
そう、線引きの話。
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2018年5月1日 - 21:28
寛容か否かは個人の多様さの範疇、社会のなかで必要なのは個人の多様さを侵害することはできないのだという線引き。