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若者は本当に「下流志向」なのか(1)~学ぶことからの逃走~ №188 

2013-06-04 16:56:40 | インポート
 若者は本当に「下流志向」なのでしょうか?学ぶことによって得られる果実を信じない子どもたちが学ぶことから逃走し、働くことの対価が少なすぎる、と労働から逃走する若者たち。内田樹教授は彼らは努力して下流を志向していると言いますが、本当でしょうか。
  神戸女学院大学の内田樹名誉教授著「下流志向」(講談社刊)のサブタイトルは、~学ばない子どもたち、働かない若者たち~です。著者によれば、今の子どもたちは、家事労働の中で感謝と認知を獲得し、そこから、幼い自我のアイデンティティを確立していくという機会が失われてしまっている。初めての社会経験がお金を使うことになり、消費者マインドの中で育つことになった。そのため、教育の場においても、子どもたちは、買い手、すなわち「教育サービスの担い手」という意識を持っているのではないか。
  教育を権利ではなく、義務だと理解している子どもたちは、僕はこれだけ我慢しているけど、それに対して先生は何をしてくれるの。自分は教育を受ける義務を果たしているのだからその対価をくれと言ってくる。その答えが納得できればやるし、気に入らなければやらない。つまり、消費者マインドとすれば、気に入れば買うし、気に入らなければ買わないということになります。
 「これを学ぶことが何の役に立つのですか。」と、その商品(教育内容)に興味がないふりをすると、先生が教育内容のレベルをディスカウント(低下)してくれる。だから、子どもたちは値切ること、即ち、最小の努力で最大の商品(成績)を手に入れようとする。子どもたちは教室では貨幣をもっていないので、「不快」を示すことで等価交換しようとしているのだ、と著者は説明しています。
 さらに、東大・刈谷剛彦教授「階層化日本と教育危機」(有信堂高文社)の中から、「階層下降することから達成感を引き出す子どもが出現してきた」と、以下のように引用しています。
 相対的に出身階層の低い生徒たちにとってのみ、「将来のことを考えるよりも今を楽しみたい。」と思うほど、「自分には人よりすぐれたところがある。」という根拠のない「自信」が強まる傾向がある。
 グローバル化する社会は、学校で努力しても就職できない人が増大するとしいうリスクを抱えています。努力と成果の相関が崩れ、努力しても必ずしも報われない社会は、二極化し格差社会を生む。上層家庭の子どもは、勉強して高い学歴を得た場合は、そうでない場合より多くの利益が回収できることを信じられる。しかし、下層社会の子はそれを信じられない。学力差ではなく、学力についての信憑性の差が、学ぶことから逃走する子どもを生み出すというのです。
 頑張れば誰も同じような成果を達成できるというのがメリトクラシー(業績主義)の前提だが、努力への動機に階層的な格差があるとすれば、フェアではなく、すでに勝っている者がさらに勝ち続けることを正当化する社会となってしまうのではないか。努力しないのは本人のせいだから、自己責任だと言われるが、自己責任、自己決定は自分でリスクヘッジできない。それゆえに、社会のセーフティネットが必要だと提言しています。

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