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病気になった人の役割  ~病人の権利と義務~  No.238

2016-05-19 11:16:03 | 日記
  病気になった人の社会的役割について論じたのは、アメリカの社会学者タルコット・パーソンズ(Talcott Parsons、1902年-1979年)です。パーソンズの理論によると、病気になった人にも二つの権利と二つの義務があるということです。この社会的役割理論は、回復可能な疾患に当てはまりますが、回復が望めない病気には当てはまりません。また終末期を迎えた人にも生活者としての権利や義務があることが考慮されていないという批判もあります。医師と患者の関係についても批判があります。様々な批判がある理論ですが、私たちが病気になるということはどういうことか考えるきっかけになるのではないでしょうか。

1 二つの権利
①「社会的役割の責任から免除される権利」
 父親であれば家族や社会のために働くこと。学生なら勉強をすること。会社員ならフルタイムで働くこと。母親なら子どもの面倒を見ること。などなど。私たちには社会や人間関係から、自然に役割を期待されています。病気になった場合には、その役割を果たさないことについて責められたり、自責の念を感じたりすることから解放されなければならないという考え方です。
②「看護されることや援助を受け入れる権利」 
 他の人からの助けを受け入れることは、病気になった人の権利の一つです。以前ようには仕事に取り組めない分、同僚に仕事を振ることかもしれません。あるいは、不安から家庭生活まで手が回らないため、実家に手伝ってもらうことかもしれません。健康なときは自立が求められますが、病気になった人は、他の人の助けを受け入れる権利を持ちます。
2 二つの義務
③「回復に向けて努力するする義務」
 今までの役割は果たせなくなったけれども、新しい役割が見つからなければ、回復に向かって進んでいくことは難しいことです。しかし病気になった人にとっては、回復に向かって努めることそのものが、新しい役割となります。そして、私たちは義務を負うことによって、新しい責任を果たすことができます。
④「医師などの等専門家の援助を求め、協力する義務」
 医師やカウンセラーに限らず、助けを求めてみると、意外にたくさんの専門家がいます。自分たちだけで対処しようとすることは、大変なことですし、病気をこじらせることになりかねません。専門家の援助を受けることを権利であるだけでなく義務でもある言っています。


 





うつは病気か甘えか ~甘えの診断基準~  №237

2016-05-12 15:33:51 | 日記
 国立療養所久里浜病院精神科医長の村松太郎氏の著書「うつは病気か甘えか」(幻冬舎刊)の中に、ある産業医が作成したという「甘えの診断基準」というものが掲載されていてなかなか興味深かったので紹介します。もちろん、DSM(精神障害の診断と統計マニュアル)のように医学的に根拠のあるものではないし、村松先生もうつに悩み苦しんでいる方が居ることは十分に配慮した上で、実際にこういう人がいるのではないかということで掲載しているということをお断りしておきます。

  甘えの診断基準

A 特権への安住と自己主張(以下の問いの2つ以上を満たす)
 1 自分はうつ病であると公言してはばからない。
 2 うつ病としての配慮をするよう要求する。
 3 うつ病について理解がないと人を責めることがある。
 4 注意や指導を受けるとすぐにハラスメントであるという。

B 未熟な性格(以下の問いの2つ以上を満たす)
 1 言動の中に親の陰が見え隠れする。
 2 プライドが高い。
 3 自分のことはぺらぺらとよくしゃべる。人の話はあまり聞かない。
 4 言動が全体に年齢より幼い。
 5 人が自分のことをわかってくれないとという意味のことをよく言う。

C 病気とは思えない、人の神経を逆なでする言動(以下の問いの1つ以上を満たす)
 1 「仕事中と休み時間」や「出勤日と休日」の元気の差が大きい。
 2 病気療養中の活動(旅行や趣味のことなど)のことを自慢げに話す。

人口知能と心の問題  №236

2016-05-01 18:52:50 | 日記
 テクノロジー・シンギユラリティ(Tecnology Singularity)というのは、テクノロジーが急速に進化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほど変容してしまうような未来のことをいいます。日本語では「技術的特異点」といわれています。歴史における「技術的特異点」の最初は、農耕の発達により食糧の確保がもたらされた農業革命であると、「人工超知能が人類を超える」(日本実業出版社刊)の作者台場時生氏は語っています。食糧の確保が定住を可能にし、都市がができ、文明が発達したということです。次に起こった「技術的特異点」は、産業革命です。機械が生産し、機械が輸送することで人々の生活スタイルが根本的に変わりました。イギリスで機械に仕事が奪われた労働者が、「ラッダイト運動」といわれる機械の打ち壊し事件を起こしたことはご存知のことと思います。
 そしていま、情報革命により、通信や知的生産技術は根本的に変わりつつあります。次に起こるのが、ロボット革命だということです。ロボット革命とはロボットが人間に変わって労働することで、私たちが労働から解放されるということです。そのロボット革命の「技術的特異点」は人工知能によってもたらされ、2045年にそれが起こるといわれています。一度コンピュータの人工知能に追い越されてしまうと、私たち人間は二度と追いつけないといわれています。仕事から解放されてハッピーになるのか、仕事を奪われることで職を失いアンハッピーになるのかは、予測がつきません。私たちがどんな社会のシステムを望むかによるのではないでしょうか。
 いま、人工知能の研究で問われているのは人工知能に感情をもたせることは可能なのかということです。かつて、アメリカの行動主義心理学者ジョン・ワトソンは「人間には心というものは存在しない。環境に対するリアクションがあるのみで、そのリアクションの仕方は学習によるものにすぎない。」と主張しました。
 ならば、人工知能は肉体を持たないだけの人間なのでしょうか。