天咲心良著「COCORA~自閉症を生きた少女2~思春期編」(講談社刊)は、小学校編の続編で、小学校を卒業した作者の海外留学とその挫折が描かれています。作者はおそらく知的障害を伴わない自閉症スペクトラムのため、周囲が障害とは思わないで接していました。両親や祖母や姉の言いつけにしたがうことができず、わがままだとか、生意気だとか、あらぬ誤解を受け、家族からほとんど虐待と言っていい扱いを受けて育ちました。そして、小学校を卒業すると、家から放り出されるように海外留学に出されます。
たとえ、障害がなかったとしても、英語もほとんど話せないわずか12歳の少女を、単身で留学させる両親というのはどのような人たちなのでしょう。善意に解釈すれば、少女の両親は、障害を持って生まれたとは思わなかったため、外国留学させれることで自律心が芽生え、しっかりしてくれるのではないという親心だったのかもしれません。しかし、単に育てにくい子を厄介払いしたかったとも考えられます。
自分の家族と一緒に住んでいても、生育環境の適応に困難を感じている少女にとって、言葉も生活習慣も文化も異なる国で見知らぬ人たちと住むというのは、恐怖以外の何物でもなかったに違いありません。ホームスティ先の子供と初めて留学先の学校へ行きますが、日本語で話してくれる留学生サポートの女性教師の言葉は耳に入ってきません。彼女は、見知らぬ場所にたった一人でいることの不安とパニック、そして、恐らくはそれらの状態からの逃避反応により、無害で不変な自分が理解できるもの、女性教師のブロンドの髪やインテリアに注意がそれ、何も理解することができません。
彼女は自我を守るために、部屋に引きこもったり、離人症的な状態になったりしながらも、同質性を求めないホストファミリーの優しさや思いやりのある友人に囲まれて、何とか踏ん張り続けますが、ついには力尽きて日本に戻ります。しかし、誰も彼女を温かく迎えてはくれません。よく頑張ったねとも言ってくれません。
自閉症の人たちが、どれだけ膨大なエネルギーを使って、私たちが「普通」と考えて、何の違和感もなく暮らしている、周囲の環境に適応するために格闘しているのかが、痛いほどに伝わってくる本です。果たして彼女はどのように世界と和解するのか。次作が待たれます。
たとえ、障害がなかったとしても、英語もほとんど話せないわずか12歳の少女を、単身で留学させる両親というのはどのような人たちなのでしょう。善意に解釈すれば、少女の両親は、障害を持って生まれたとは思わなかったため、外国留学させれることで自律心が芽生え、しっかりしてくれるのではないという親心だったのかもしれません。しかし、単に育てにくい子を厄介払いしたかったとも考えられます。
自分の家族と一緒に住んでいても、生育環境の適応に困難を感じている少女にとって、言葉も生活習慣も文化も異なる国で見知らぬ人たちと住むというのは、恐怖以外の何物でもなかったに違いありません。ホームスティ先の子供と初めて留学先の学校へ行きますが、日本語で話してくれる留学生サポートの女性教師の言葉は耳に入ってきません。彼女は、見知らぬ場所にたった一人でいることの不安とパニック、そして、恐らくはそれらの状態からの逃避反応により、無害で不変な自分が理解できるもの、女性教師のブロンドの髪やインテリアに注意がそれ、何も理解することができません。
彼女は自我を守るために、部屋に引きこもったり、離人症的な状態になったりしながらも、同質性を求めないホストファミリーの優しさや思いやりのある友人に囲まれて、何とか踏ん張り続けますが、ついには力尽きて日本に戻ります。しかし、誰も彼女を温かく迎えてはくれません。よく頑張ったねとも言ってくれません。
自閉症の人たちが、どれだけ膨大なエネルギーを使って、私たちが「普通」と考えて、何の違和感もなく暮らしている、周囲の環境に適応するために格闘しているのかが、痛いほどに伝わってくる本です。果たして彼女はどのように世界と和解するのか。次作が待たれます。