アドラー心理学がブームです。アドラーは、1870年オーストリア生まれの心理学者で精神科医でもあります。先日、ダイヤモンド社から刊行されている「嫌われる勇気」(岸見 一郎/古賀 史健:著)の中に、アドラーが「自己肯定」と「自己受容」の違いを説明している一節がありました。
アドラーによると「自己肯定」とは、できもしないのに「私はできる」、「私は強い」と自己暗示をかけることで、これは優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方である、というのです。つまり、ポジティブシンキングには無理があるのではないかということです。
一方「自己受容」とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」を「ありのままに受け入れ」、できるようになるよう前に進んでいくことで、自らに嘘をつくものではないということです。つまり、まず、できない自分を素直に受け入れて、そこから出発しなさいということです。
テストの点数が60点だったとき、「今回はたまたま運が悪かっただけで、本当の自分は100点の力がある。やればできる。」と言い聞かせるのが「自己肯定」です。
「自己受容」というのは、60点の自分をそのまま受け入れた上で、100点に近づくためにはどうしたらいいかと考えることです。まず、「あるがままの自分」を受け入れなさい。そして、ここがとても重要なのですが、自分の中の「変えられるもの」と、「変えられないもの」を見極めなさい。我々は与えられたものを変えることはできないけれど、与えられたものをどう使うかは自分の力によって可能なのだから、ということです。
これはなかなか難しい作業です。私たちは困難に直面すると、変えることが可能なことでも、どうせ私にはできないと変わろうとしないことが多いからです。
アドラーは幼い頃、病弱で運動が苦手でした。また、くる病を煩ったため、成人した後の身長も150cmと小柄で、おそらく様々な劣等感情に悩まされたであろうことは想像に難くありません。彼は変えることのできない自分の現実を受け入れ、変えることのできる物事に対して全力を尽くし、フロイトやユングと並び称される偉大な心理学者になったのではないでしょうか。
アドラーによると「自己肯定」とは、できもしないのに「私はできる」、「私は強い」と自己暗示をかけることで、これは優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方である、というのです。つまり、ポジティブシンキングには無理があるのではないかということです。
一方「自己受容」とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」を「ありのままに受け入れ」、できるようになるよう前に進んでいくことで、自らに嘘をつくものではないということです。つまり、まず、できない自分を素直に受け入れて、そこから出発しなさいということです。
テストの点数が60点だったとき、「今回はたまたま運が悪かっただけで、本当の自分は100点の力がある。やればできる。」と言い聞かせるのが「自己肯定」です。
「自己受容」というのは、60点の自分をそのまま受け入れた上で、100点に近づくためにはどうしたらいいかと考えることです。まず、「あるがままの自分」を受け入れなさい。そして、ここがとても重要なのですが、自分の中の「変えられるもの」と、「変えられないもの」を見極めなさい。我々は与えられたものを変えることはできないけれど、与えられたものをどう使うかは自分の力によって可能なのだから、ということです。
これはなかなか難しい作業です。私たちは困難に直面すると、変えることが可能なことでも、どうせ私にはできないと変わろうとしないことが多いからです。
アドラーは幼い頃、病弱で運動が苦手でした。また、くる病を煩ったため、成人した後の身長も150cmと小柄で、おそらく様々な劣等感情に悩まされたであろうことは想像に難くありません。彼は変えることのできない自分の現実を受け入れ、変えることのできる物事に対して全力を尽くし、フロイトやユングと並び称される偉大な心理学者になったのではないでしょうか。