もし、あなたが、あなた自身を含めて、愛する家族や友人を不当に傷つけられたと感じたとき、その加害者に復讐するのではなく、「ゆるす」ことによって、あなたの怒りや憎しみから解放されたいと望むでしょうか。
「ゆるし」というのは、これまでどちらかという宗教の分野でしたが、これを初めて科学的に検証したのがアメリカ・ウィスコンシン大学心理学教授ロバート・D・エンライトの「ゆるしの選択」(河出書房新社刊 水野修二郎訳)です。
先日、日本カウンセリング学会認定カウンセラーの研修会で、翻訳した麗澤大学の水野修二郎教授から直接お話を伺うことができました。
私たちは、不当に傷つけられたと感じると、相手には怒りや憎しみを感じ、加害者と同じように醜い存在になってしまうことさえあります。自分自身に対しては何もできなかったという無力感が残り、自己嫌悪に陥り、時には自分を否定してしまうこともあります。
また、怒りや憎しみは、それを向けられた人(加害者)よりも、むしろ、怒りや憎しみを向ける人(被害者)に悪い影響をもたらします。怒りや憎しみを抱き続けることより、精神的に疲労し、生活の活力を失うような事態を招き、二重の被害者となります。
そうした、怒りや憎しみから解放されるには、悪いことをされたのだから同じように相手を痛めつける、というリベンジの気持ちを脇に置いて、「ゆるし」の決心をすることが必要だといいます。では、「ゆるし」とは何でしょう。
1 個人が自由意思で始める心の内側のプロセスである。
2 あなたに対してアンフェアな行動をした人に対する激しい感情をレッツ・ゴー(手放す)する。
3 過去にあなたを傷つけようとした人を罰しようとは思わなくなる。
4 罰したところであなたの傷はいやされない。
5 あなたの持つエネルギーをもっと良いほうに活用する。
6 先に進む。
しかし、「ゆるす」ことに対しては、相手に対する敗北であるとか、自分の感情を否定することであり、反省もしない相手を不当にのさばらせることになる等々、様々な感情があり、それほど単純なことではありません。
それでも、怒りや憎しみの感情の牢獄から抜け出すにために、相手を「ゆるす」という選択肢があってもいいというのが、カウンセリングとして必要なのではないかということでした。ただ、この「ゆるし」の作業には様々なワークがあるようです。また、大目にみたり、忘れたり、冷静に対処したり、和解することは「ゆるし」ではないとも言っています。
「ゆるし」というのは、これまでどちらかという宗教の分野でしたが、これを初めて科学的に検証したのがアメリカ・ウィスコンシン大学心理学教授ロバート・D・エンライトの「ゆるしの選択」(河出書房新社刊 水野修二郎訳)です。
先日、日本カウンセリング学会認定カウンセラーの研修会で、翻訳した麗澤大学の水野修二郎教授から直接お話を伺うことができました。
私たちは、不当に傷つけられたと感じると、相手には怒りや憎しみを感じ、加害者と同じように醜い存在になってしまうことさえあります。自分自身に対しては何もできなかったという無力感が残り、自己嫌悪に陥り、時には自分を否定してしまうこともあります。
また、怒りや憎しみは、それを向けられた人(加害者)よりも、むしろ、怒りや憎しみを向ける人(被害者)に悪い影響をもたらします。怒りや憎しみを抱き続けることより、精神的に疲労し、生活の活力を失うような事態を招き、二重の被害者となります。
そうした、怒りや憎しみから解放されるには、悪いことをされたのだから同じように相手を痛めつける、というリベンジの気持ちを脇に置いて、「ゆるし」の決心をすることが必要だといいます。では、「ゆるし」とは何でしょう。
1 個人が自由意思で始める心の内側のプロセスである。
2 あなたに対してアンフェアな行動をした人に対する激しい感情をレッツ・ゴー(手放す)する。
3 過去にあなたを傷つけようとした人を罰しようとは思わなくなる。
4 罰したところであなたの傷はいやされない。
5 あなたの持つエネルギーをもっと良いほうに活用する。
6 先に進む。
しかし、「ゆるす」ことに対しては、相手に対する敗北であるとか、自分の感情を否定することであり、反省もしない相手を不当にのさばらせることになる等々、様々な感情があり、それほど単純なことではありません。
それでも、怒りや憎しみの感情の牢獄から抜け出すにために、相手を「ゆるす」という選択肢があってもいいというのが、カウンセリングとして必要なのではないかということでした。ただ、この「ゆるし」の作業には様々なワークがあるようです。また、大目にみたり、忘れたり、冷静に対処したり、和解することは「ゆるし」ではないとも言っています。