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「何者」にもなれずに漂白する若者 №184

2013-05-09 16:47:12 | インポート
 朝井リョウの「何者」を読みました。小説としての出来映えがどうというよりは、偏差値の高い大学生の就活の雰囲気が良くわかりました。成人式が、単なるセレモニーとなってしまっている日本の社会では、就活こそが「一人前の人間」としての通過儀礼(イニシエーション)となっているのかもしれません。
 小説の中で、拓人の友人が最終面接で落とされた場面で、こんな描写が出てきます。
 「いくらこちらから願い下げだとしても、最終的に選ばれなかったということは、そこまで選ばれていたのに決定的に足りない何かがあったと感じてしまう。エントリーシートや筆記試験で落ちるのと、面接で落ちるのとではダメージの種類が違う。決定的な理由があるはずなのに、その何かがわからないのだ。コレまでの人生で何度も経験してきた試験のように、数学ができなかったから、とか、作文で時間が足りなくなったから、とか、そんな分析すらさせてもらえない。就職活動において怖いのはそこだと思う。確固たるものさしがない。ミスが見えないから、その理由がわからない。自分がいま、集団の中でどれくらいの位置にいるかがわからない。」
 学生という、ある意味で均質な集団の中で周囲の空気を読みながら、巧みに自分の立ち位置を確保していた若者が、不意にその足場を失って漂白していく不安がよく捉えられている部分だと思います。
 企業が最終的にどのような価値判断で内定を決めるかは教えてもらえないから、内定を得られなかった学生は、まるで、人間性が否定されたような不安に苛まれるのでしょう。 一定の水準に達していながら内定をなかなか得られないのは、就活が恋愛に似ているからではないかと思います。企業との相性や企業風土に即したタイプでないと、いくらその企業に恋をしても叶わぬ恋になってしまうのではないでしょうか。ただ、入社したい会社を選べるのはごく一部の人達でしかありません。多くの学生は、自分探しの旅をしているゆとりはなく、「自分に合った仕事を探すのではない。自分がその仕事に合わせるのだ。」と言われながら就活しているのが現実のような気がします。 
 自分を捨ててまで就活なんかしたくないという、宮本隆良に真剣に就活に取り組む田名部瑞月が言います。
 「私たちはもう、たったひとり、自分だけで、自分の人生を見つめなきゃいけない。一緒に線路の先を見てくれる人はもう、いなくなったんだよ。」
 「10点でも20点でもいいから、自分の中からだしなよ。自分の中から出さないと点数さえつかないんだから。」
 だから、多くの若者は「何者」かの仮面を被って入社していきます。その仮面がそのまま自分の顔となって剥がれなくなれば、それはそれでいいのではないでしょうか。仮面を被っていることに耐えられなくなって外すには、それなりの覚悟が必要です。ようやく探し出した自分の素顔が、じつは「のっぺらぼう」であるかもしれないのです。

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