防災カレンダー
千葉県北西部
東京都足立区から東方向
兵庫県西脇市
千葉県北西部
東京都足立区から東方向
兵庫県西脇市
右脳と左脳が分離されるとどうなるか?
左脳が右脳より優れているのは本当か? @bluebacks_pub https://t.co/Tl2gpQm6vb #ブルーバックス
— まる(=・3・=)ぞう (@J5F6eZXx6YgJP2x) August 21, 2023
今回も右脳と左脳のお話です。これはセルフ123ととても共通点があるからです。
上記の記事に興味深い実験が報告されています。
被験者の左眼(右脳)に雪景色を見せ、右眼(左脳)に鶏の足の写真を見せます。
私達はこのような実験をしても、雪景色と鶏の足だと判断することは出来ます。
しかし脳の手術によって右脳と左脳が切断された患者さん(分離脳)にこの実験をすると
「何が見えましたか?」
と質問すると
「鶏の足です」
という答だけになります。
右脳は雪景色を確かに観ているのですが、言語脳が左なので、言語による質問に答えるのが左脳だけ。従って左脳は自分が観た「鶏の足」としか答えられません。
どうして雪かきスコップを指差したの?
しかし観た絵と関連がある絵を示してくださいというと、これは右脳も反応が出来ますから、被験者は
・鶏の絵
・雪かきスコップの絵
を指し示します。雪景色に関連のある雪かきスコップの絵を右脳は答えます。
でも被験者の左脳は、なぜ自分がスコップの絵も指さしているのかはわかりません。
右脳と左脳が切断されているので、左脳は右脳の景色が観えないのです。
「なぜスコップも指差しているのですか」と尋ねると
「なんでだろう??多分鶏小屋の掃除にスコップを使うからです。」
と被験者の脳は無理やりこじつけをします。
読者の右脳が行間を補正してくれている。
このブログは私の心の風景を言葉で伝えることが多いです。それは多分こんな感じです。
・私の右脳の心の風景は、私の左脳で言語化されます。
・それはブログ配信という手段を使っているからです。
・読者は左脳で私の言語を理解し、そして読者の右脳は私の心の風景を再現します。
言葉で伝えることには限界があります。
ですから私はいろいろな比喩を使って、その不足分をなんとかお伝えしようとします。
そして読者の右脳は、ああなるほどね。と私の言葉足らずの行間を補完し、そして同じ心の風景を共有いたします。
分離脳の方には全然伝わらない?
約80年前に脳の治療のために始められた分離手術ですが、今ではこの手術による分離脳の弊害もわかってきており、現在ではこの手術はほとんど行われていないそうです。(良かった)
しかしもし、80年前にこのブログがあったとして、分離脳の患者さんがこのブログを読んだとしたらどんな反応をされるでしょうか。
私が書いた言語記事を左脳は理解しますが、右脳にはそれは伝わりません。だから私の右脳の風景を、その方に伝えることはほぼ不可能。と言えます。
だからその方の左脳はそのように解釈するかもしれません。
・なんでまるぞうはいつもこんなまわりくどい話ばかり書くのだろう。
・自分が他の人よりえらいんだぞと誇示したいから、書くのだろう。
他者と切り離された感覚の左脳はひたすらしゃべり続ける、
ジル・ボルト・テイラー博士の体験によると、左脳はおしゃべりを続けるそうです。
・左脳はひたすらしゃべり続ける
・左脳の世界は「過去と未来」。
・左脳は自分は他者と切り離されていると感じている。
・左脳はそのような不安の思考。
だそうです。
静寂な一体感の今ここに存在する右脳。
一方右脳は違います。それは「静寂」です。
・右脳はいっさいのおしゃべりが止まっている静寂の世界。
・右脳がいるのは「現在この瞬間」。
・右脳は他者と自分の区別がない。自分は大いなる一つの中に溶け込んでいる。
そのような感覚だそうです。
右脳の景色は左脳には伝わらない。
だからもし分離脳の方がいたとしたら、その方の左脳は「常に他者と切り離された不安の中で、ひたすらおしゃべりをしている。」そういう世界に住んでおられるのでしょうか。
そしてもし私のつたない文章を読んでも、右脳の行間補正がないので、その方の左脳の解釈は、他の人から見ると「どうしてそんな解釈になるの?とか、そんなことどこにも書いてないのに、なぜそんなことをまるぞうが言ったことになってるの?」ということもあるかもしれませんが、それは仕方のないことなのです。
でもその方でも、右脳は感じております。心の風景を感じております。
ただしその方の左脳は、御自分の右脳の風景を全く関知出来ないことでしょう。その方の右脳は「雪景色」を観ているのに、その方の「左脳」は鶏の足しか見えていません。
左脳は気づいていないが、右脳は気づいている。から。
ではなぜ、その方は、稚拙な「鶏の足ブログ」を読み続けるのか。読むのをやめればいいじゃないか。と思うかもしれませんが、やはりその方の右脳では「雪景色」が観えている。だから読み続ける。そんな現象が起きるかもしれません。
もし80年前の分離脳の患者さんに「どうして鶏の足の写真しか見えないとおっしゃっているのに、スコップを指差すのですか?」と尋ねたならば、患者さんは本当に困ることでしょう。
実際は右脳で雪景色を観ているのに、左脳はそれを認知できないから。
だから左脳は「スコップは鶏小屋の掃除に役に立つから」と無理やりのこじつけで自分の左脳を納得させる。となるそうです。
静寂の中に「風景」という答があります。
おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
==========
SHO_KOさん
・・・
お返事ありがとうございます。「心が動いて表現する」は人の心の原動力。感情には巻かれない、けれど大切にしたいものでもあります。そうじゃなかったらロボットでしょう?と思います。
>無自覚ロボット反射をする。
それはみな必ず経験したことがあり、持っているもの。でもそのことで困ったり苦しんでいるように見える人が身近にいたら私にできる事というのは何だろうかと思いました。
もし、誰かがロボット反射でえんえんと同じ話をしていても、今のその人にとってはそれが真実なのだから。あなたはそうだったのですね、そう感じたのですね、そう思っているのですねとひたすら受け入れ、承認し、心から聞いてくれる人がいたら、そのきっかけとなったものが、表現していくことで溶けていくことができるかも知れません。それには表に出してみること。さらけ出してみることからはじまる。自分の経験を感情を言葉にして人に語りながら、また自分の耳で聞くとこんがらがった頭の中が整理されていくことがあります。
ロボット反射で何度も同じ反応、話をしてしまうけれど、聞いてもらううちに(あぁ、そうか自分はそう思っていたのだ。)と忘れていた記憶や視点が出てきてロボット反射のきっかけとなった経験の意味付けが変わることがある。そこに至るまではとても長い時間がかかるかも知れない。でも話すうちに表に出すことで出来る事があると私は信じています。
もしたった5分でも誰かがその時間、心から本当に心を澄まし、話を聞いてくれる人がいたら、その人の何かが解放されていくのではないかなと思います。話の途中で口を挟まずに、聞きながら心の中でそれは違うとか正しいとか、次は何を言ってやろうかと考えて聞くのではなく、本当に相手のすべてを聴くことができたなら相手の中の何かが変わっていくような気がしています。
それを自分にも他人にもしてきたいと思います。
心の地雷について、いつでもすべてを肯定出来たらいいけれど、私は好き嫌いもあるし、自分の好きを大事にしたい。肯定できない時はそのままの感情をしっかり感じてしまっても、ま、いっか~と思っています。
何か自分の中に解消しきれないモヤモヤとしたわだかまりがあって、素直に肯定できないときは、そんな肯定できない自分を許す。肯定できない自分を肯定する、許せないでいる自分を許す、無理に肯定しなくてもいい。それはまた抵抗を生むし、自然な感情を抑え込んでしまう。そんな時もあるよね、どんな自分だっていいよとOKをだす。「今はそうなんだね~」と青いお空を飛んでいく飛行機を眺めるような気分で自分の心をそっか~と見ています。
→ コメントありがとうございます。SHO_KOさんの風景はみなさんに届いていることと思います。ありがとうございます。
==========
お礼が遅れましたが、まるぞうさんと、このブログの読者のみなさんのコメントのおかげで、宮崎監督の「君たちはどう生きるか」を劇場で見てきました。
詳しくはネタバレになってしまうので書けませんが、私にとって素晴らしい体験でした。
宮崎監督すごいなあ、こんなすごい人だったんだなあと、この内容をこんな風にまとめて私達の前にひとつの美しい作品として見せてくれてありがとうございます、
そんな気持ちで一杯になりました。
実は初見以降、もう3回見にいっています。
見る度に新発見がありますね。
また見に行きたいなあ。
→ これは心の風景の映画だと思います。ストーリーは奇想天外だけれど左脳で意味を考えるとわけわからんちんと思います。コメントありがとうございます。
==========
私もやったことがありますよ(笑)ついてる、ついてる、って。
不思議なことに、速攻で飽きちゃうんですよね。
今、居る場所で少し脳のおしゃべりのボリュームが下がるだけでも、重心が下がって心も落ち着く気がします。
そういう、おしゃべりを落ち着かせる系のことは、飽きるわけじゃなく続かないんですよね。
やじろべえだと思って、もう少し分離されていない統合されている時間を増やしてみようと思います。
話は変わりますが、宮崎駿という人が羨ましく思います。
昔の同級生がアニメーターを目指して、実際にジブリじゃないスタジオで採用されてしばらく働いていました。
当時から、アニメーターは薄給で立場も弱かったようですが、その時既にアニメスタジオのアニメーターに「正社員」という採用をジブリはしていたようです。
「それはすごいことなんだ」と聞かされたのを思い出しました。
正社員採用も、やってみたらやってみたで、色々と内部ではアレコレあると思います。
うまくいくばかりじゃないからこそ、人生の風景なのかもしれないですね。
→ 過去と未来のおしゃべりを繰り返し続ける左脳と、いまここにある静寂の右脳。両方大事だと思います。そのバランスがとれている体験が観たかった!
コメントありがとうございます。
==========
今日も暑かったねー!
一昨日のトルコ石さんが見せてくださったお話を読んで泣いちゃった。すごい過酷な半生を送られたんだな。読みながら、その人の側に飛んで行きたくなった。今は安全な所にいるんだよね。優しい伴侶に恵まれ絵本作家になったんだよね。よかった。
私らが知らないところでら酷い目にあってる子供がいるのか、と思うと辛いです。
→ 本当に。。。
コメントありがとうございます。
==========
今日もありがとうございますさん
・・・
ジル ボルド テイラー博士のお話し動画、とても興味深く拝見致しました。凄い体験です。右脳と左脳のやじろべえで、今、どちらかを選ぶ事が出来るのですよね。うわ〜、やはりそうなのだ!と感激しています。まるぞうさん、本当にありがとうございます。
→ 御自分の奇跡の体験=この世界に戻ってこられて、左脳という言語で、右脳の世界を世界中の人々に語ってくださっているのは本当に意味深いと思います。ありがとうございます。
==========
==========
SHO_KOさん
・・・
お返事ありがとうございます。「心が動いて表現する」は人の心の原動力。感情には巻かれない、けれど大切にしたいものでもあります。そうじゃなかったらロボットでしょう?と思います。
>無自覚ロボット反射をする。
それはみな必ず経験したことがあり、持っているもの。でもそのことで困ったり苦しんでいるように見える人が身近にいたら私にできる事というのは何だろうかと思いました。
もし、誰かがロボット反射でえんえんと同じ話をしていても、今のその人にとってはそれが真実なのだから。あなたはそうだったのですね、そう感じたのですね、そう思っているのですねとひたすら受け入れ、承認し、心から聞いてくれる人がいたら、そのきっかけとなったものが、表現していくことで溶けていくことができるかも知れません。それには表に出してみること。さらけ出してみることからはじまる。自分の経験を感情を言葉にして人に語りながら、また自分の耳で聞くとこんがらがった頭の中が整理されていくことがあります。
ロボット反射で何度も同じ反応、話をしてしまうけれど、聞いてもらううちに(あぁ、そうか自分はそう思っていたのだ。)と忘れていた記憶や視点が出てきてロボット反射のきっかけとなった経験の意味付けが変わることがある。そこに至るまではとても長い時間がかかるかも知れない。でも話すうちに表に出すことで出来る事があると私は信じています。
もしたった5分でも誰かがその時間、心から本当に心を澄まし、話を聞いてくれる人がいたら、その人の何かが解放されていくのではないかなと思います。話の途中で口を挟まずに、聞きながら心の中でそれは違うとか正しいとか、次は何を言ってやろうかと考えて聞くのではなく、本当に相手のすべてを聴くことができたなら相手の中の何かが変わっていくような気がしています。
それを自分にも他人にもしてきたいと思います。
心の地雷について、いつでもすべてを肯定出来たらいいけれど、私は好き嫌いもあるし、自分の好きを大事にしたい。肯定できない時はそのままの感情をしっかり感じてしまっても、ま、いっか~と思っています。
何か自分の中に解消しきれないモヤモヤとしたわだかまりがあって、素直に肯定できないときは、そんな肯定できない自分を許す。肯定できない自分を肯定する、許せないでいる自分を許す、無理に肯定しなくてもいい。それはまた抵抗を生むし、自然な感情を抑え込んでしまう。そんな時もあるよね、どんな自分だっていいよとOKをだす。「今はそうなんだね~」と青いお空を飛んでいく飛行機を眺めるような気分で自分の心をそっか~と見ています。
→ コメントありがとうございます。SHO_KOさんの風景はみなさんに届いていることと思います。ありがとうございます。
==========
お礼が遅れましたが、まるぞうさんと、このブログの読者のみなさんのコメントのおかげで、宮崎監督の「君たちはどう生きるか」を劇場で見てきました。
詳しくはネタバレになってしまうので書けませんが、私にとって素晴らしい体験でした。
宮崎監督すごいなあ、こんなすごい人だったんだなあと、この内容をこんな風にまとめて私達の前にひとつの美しい作品として見せてくれてありがとうございます、
そんな気持ちで一杯になりました。
実は初見以降、もう3回見にいっています。
見る度に新発見がありますね。
また見に行きたいなあ。
→ これは心の風景の映画だと思います。ストーリーは奇想天外だけれど左脳で意味を考えるとわけわからんちんと思います。コメントありがとうございます。
==========
私もやったことがありますよ(笑)ついてる、ついてる、って。
不思議なことに、速攻で飽きちゃうんですよね。
今、居る場所で少し脳のおしゃべりのボリュームが下がるだけでも、重心が下がって心も落ち着く気がします。
そういう、おしゃべりを落ち着かせる系のことは、飽きるわけじゃなく続かないんですよね。
やじろべえだと思って、もう少し分離されていない統合されている時間を増やしてみようと思います。
話は変わりますが、宮崎駿という人が羨ましく思います。
昔の同級生がアニメーターを目指して、実際にジブリじゃないスタジオで採用されてしばらく働いていました。
当時から、アニメーターは薄給で立場も弱かったようですが、その時既にアニメスタジオのアニメーターに「正社員」という採用をジブリはしていたようです。
「それはすごいことなんだ」と聞かされたのを思い出しました。
正社員採用も、やってみたらやってみたで、色々と内部ではアレコレあると思います。
うまくいくばかりじゃないからこそ、人生の風景なのかもしれないですね。
→ 過去と未来のおしゃべりを繰り返し続ける左脳と、いまここにある静寂の右脳。両方大事だと思います。そのバランスがとれている体験が観たかった!
コメントありがとうございます。
==========
今日も暑かったねー!
一昨日のトルコ石さんが見せてくださったお話を読んで泣いちゃった。すごい過酷な半生を送られたんだな。読みながら、その人の側に飛んで行きたくなった。今は安全な所にいるんだよね。優しい伴侶に恵まれ絵本作家になったんだよね。よかった。
私らが知らないところでら酷い目にあってる子供がいるのか、と思うと辛いです。
→ 本当に。。。
コメントありがとうございます。
==========
今日もありがとうございますさん
・・・
ジル ボルド テイラー博士のお話し動画、とても興味深く拝見致しました。凄い体験です。右脳と左脳のやじろべえで、今、どちらかを選ぶ事が出来るのですよね。うわ〜、やはりそうなのだ!と感激しています。まるぞうさん、本当にありがとうございます。
→ 御自分の奇跡の体験=この世界に戻ってこられて、左脳という言語で、右脳の世界を世界中の人々に語ってくださっているのは本当に意味深いと思います。ありがとうございます。
==========
まる(=・3・=)ぞうのネタ帳。
今後記事にするかもしれないししないかもしれない。気になる情報は、とりあえずここに放り込んであります。
https://twitter.com/J5F6eZXx6YgJP2x
防災意識カレンダー。
Twitterで要注意日の朝6時ごろ配信しております。
https://twitter.com/ohisama_maruzo
本ブログに共感される方はクリックのほどよろしくお願いいたします。
にほんブログ村ランキング
■ブックマーク
備忘録検索(β版)
ゆっくり解説(Youtube)
ゆっくりまるぞう動画(YouTube)
■防災意識リマインダー
防災に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
■地震雲写真投稿方法
地震雲(飛行機雲のように短時間で消えない立ち上がる雲)を目撃された方は、雲の御写真と目撃情報を下記のメールアドレスにお送り頂ければ幸いです。
ohisama.maruzo@gmail.com
御写真とともに送って頂きたい情報
・目撃された日時(何日何時頃など)
・目撃された場所(県名や地名など)
・目撃された方向(可能なら)
地震雲かわからない方は地震雲の見分け方をご参考になさってください。
(個人情報は厳重に管理し、私以外の第三者に投稿者のメールアドレスなどの個人情報を開示することはありません。また御写真の画像情報や機種情報は消去いたします。人物が特定できる映り込みなどのぼかし加工もこちらで対応いたします。なおお送り頂いた御写真と目撃情報は関連サイトにも掲載させて頂くことがあります。)
■非掲載希望のコメントについて
1.公開を希望しないコメントは投稿しないでください。基本的に投稿されたものは他の読者の方の目にもふれるとお考えください。
2,どうしても公開されたくないメッセージを送りたい方はメールでお願いします。
ohisama.maruzo@gmail.com
3,ただしメールでお送り頂いた内容に対し、私はメールで返信をお送りすることは一切ありません。一方通行となります。
4,上記のようにコメントは原則公開ですが、炎上つながる場合や個人情報が含まれている場合、読者間での私信コメントは、私の判断で非公開とする場合があります。
■引用転載について
本ブログは引用元をあきらかにしていただければ、ブログやSNSでの拡散は許可いたします。
お返事ありがとうございます。私の感じている風景が一つでも届いていたらうれしいです!
私のコメントは、雑な仕上がりで時々ちょっぴり恥ずかしいと思っています。
でも分かりやすいように考えて書き直そうとすると、初めに心に浮かんだ言葉や勢いからどんどんズレていって違う感じになってしまい、せっかくの修正版もそれはそれで少しだけど何かが違うように感じる。
「言葉に心を乗せていく」ように心に言葉がちゃんとのっていって上手く補正できる時もあれば、改悪したような伝えたい本質から遠くなる時もあります。
いつも心に浮かぶイメージや直感的な言葉をなんとか理解しやすいように翻訳・要約しようとすると、幼児のようなたどたどしかったり、雑な文章になるな、言語化するのが難しいなと感じていました。それはたぶん右脳で浮かんだイメージや言葉にならないような直感的なものを言語化しようとしているからなのですね、とても腑に落ちました。
そして、分かりやすくと元のイメージにつながる言葉を自分なりに考えて書き直していくうちに、だんだん原型から意味合いがズレていってしまう。それは頭で考えている連想ゲームのような内容が付け足されているからなのでしょうね。
だから、コメントしようとして書いた後に、しっくりこなくなった何かが違うと思って、ボツコメにしたり、いま必要なタイミングだったのに、自分の思いを書けた自己満足でもういいやと終わってしまうことがあります。
この現象ってすごく面白いですね!(^^)
心の声をもっと上手にコトバ化していきたい、伝えられたらいいなと思います。
母は少女の様に、可愛らしい女性になりました。
固有名詞が出なくなりましたが、少しずつ様々な機能が回復し、
人の体の偉大さを実感したのを思い出しました。
出来なくなった事に、泣いていた母もありました。
でも、生きている幸せを心から感じた日々も確かにあったように思います。
いま、母がいきていたら、どんな感じなのか聞いてみたいです。笑
谷保天満宮は去年の秋頃、用事のついでに立ち寄りましたよ。中々梅の時期に行く機会がありませんが、来年は観に行きたいです。谷保駅北口ダイエーそばに羽釜で炊くごはんを出す食堂があって美味しかったです。
心が動いて、表現する、一番に伝えたいと思っていただいて嬉しかったです。幼児の頃の思い出も聞いていただいてありがとうございました。
嘘をついて仲違いをさせた子もただ意地悪なわけではなく、不器用だったんですよね。
表面にみえる善悪で、白黒つけずに相手の心の動きもおもんばかることは大事だなと思います。
家族であったり職場の苦手な人も、自分の先入観のフィルターを外してまっさらな気持ちで見てみると、(あれ、この人口は悪いけど嘘のない率直な意見を言っているだけだった。単純でそのまんまの人なんだ)と思い直し、印象が180度変わることもしばしばあります。
正しさを主張し合っていがみ合うよりも、お互い相手の言い分を聞く姿勢を持つ方が楽だし気持ちが良いなと思います。
娘さんの幼稚園の教えは、大人なっても参考になります。教えてくださってありがとうございました。
まるぞうさんのブログなのに、コメント欄をお借りして私信を何度もさせていただいてありがとうございました。
・なんでまるぞうはいつもこんなまわりくどい話ばかり書くのだろう。
・自分が他の人よりえらいんだぞと誇示したいから、書くのだろう。
まるぞうさんのblogは「分離脳」ではなく、「通常脳の人じゃないと変な理解しかできない」、という失礼な差別となっています。
リンク先の記事にはそのような失礼なことは一切書いていないです。
むしろ、雪景色が見えなくても左脳と右脳の強力でスコップを選ぶことが「出来る」と脳の機能の優秀さを語っているのがまるぞうさんには読めませんか?
昨日の記事のURL先にも、左脳が損傷しようとも、訓練で通常のコミュニケーションが取れるようになった内容が描かれていましたよね?脳には失った部分をカバーしようとする機能があらかじめついているというのは昔から良く知られている事だと思います。何かが欠けてても、全体で何とかしようという思いやり機能が初期設定でついているとも言えるのではないでしょうか。
ちなみに、私に脳障害はないですが
まるぞうさんが「他の人よりえらいんだぞと誇示したい」と思ったことはありません。
でも、まるぞうさんは、「自分のblogは特別なんだと思い込みたい」、という、なんていうか、少年の夢 みたいなもので埋め尽くされてるな~と思ったことはあります。
そういう少年の夢は、肯定してあげた方がいいのかな、という気はしなくもないのですが。
まるぞうさんは、このブログで人への責任を負っている、と以前お書きになられていたので、ウソんこの事は書かないでおきます。
かわいいおじいちゃんであれば、小さな少年の夢を肯定してあげても良いのですが。
まるぞうさんは、まだおじいちゃん宣言していないし。
そこまでしてあげなくてもいいのかな、と思っています。
そしてもし私のつたない文章を読んでも、右脳の行間補正がないので、その方の左脳の解釈は、他の人から見ると「どうしてそんな解釈になるの?とか、そんなことどこにも書いてないのに、なぜそんなことをまるぞうが言ったことになってるの?」ということもあるかもしれませんが、、、、
分離脳の方に失礼では???
まるぞうさんが言語で書いている以上、言語理解はできるはずです。そういう差別と偏見は失礼だと思います。
雪景色を観なくてもシャベルを選べるくらい、右脳と左脳はどこかで仲良しなはずです。理屈は変でも辻褄は合うというか。その人なりの感性で整合性をとっていると思います。
まるぞうさんは、自分のblogが特別だ!と思いたい
右脳人格で書いてる素晴らしい右脳blogなのだ、と証明したいのかもしれないですけど。
だからと言ってそのために、分離脳の方への差別偏見を書くのはいかがなものでしょうか。
それに、まるぞうさんがどれだけ右脳で何かを感じて感動したとしても、差別と区別と偏見のセルフ1(まるぞうさんバージョン)を通して文章化した時点で、もうただの文章ですよ。行間がどうこう言うの変です。
共感力と思いやりを強化しないかぎり、「素晴らしい右脳blogを書いているという自分」に酔っただけの文章になってしままうと思いますよ。(辛辣な表現で申し訳ないですけど💦)
「なぜスコップも指差しているのですか」と尋ねると
「なんでだろう??多分鶏小屋の掃除にスコップを使うからです。」
と被験者の脳は無理やりこじつけをします。
→面白い実験ですねー。この実験は初耳でした。
まるぞうさんへのブログの解釈も面白かったです。
なるほどなーと思いました。
いつもありがとうございます。
男のロマンだなあ。。。
一歩間違えるとただの中二病☆彡
After0818が台無しやで☆\(^o^)/