かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

2004年4月27日高松―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2004-12-16 04:41:00 | 2007年までのライブの思い出

  2004年4月27日香川県民ホール
前日は松山市民会館でライブだった。岡山から松山へ向かう列車の車窓、の景色は素晴らしかった。日本人の心は荒廃する一方でも、自然や人々の生活の断片が、快く見えてしまうことがある。組織力や権力を背景に、デタラメな噂を撒き散らし、プライバシーの侵害、人権侵害をする人間が優遇される日本社会、そいつらのせいで希望がない日本社会。
 何とかならないのか。
 
 車窓を見ると海がすれすれにあり、なかなかよい景色であった。今日は逆方向に走り、高松へ向かう。松山駅で立ち食いのうどんを食べ、特急に乗り込む。前日、観音寺というところから、若い人が何人か乗り込んだ。何かあるのかと思い、時間にも余裕があることから、途中下車しました。

 正直言って、市街地をちょっと歩いたのだけれど、観音寺というところはぱっとしない、さえない、寂れた印象の街でした。高校野球春の選抜で観音寺中央高が優勝したことがあったけど、それくらいしか印象がない。コンサートで行ったことのある他の同規模の地方都市に比べても寂れたにぎやかさのない都市という印象。駅から海のほうへまっすぐ歩いたけど、市街地の中心と違うところを歩いたのかも知れない。

 早めに引き上げようとしたのだけど、あることに気がついた。街を歩く人に外国人、おそらく外国人観光客と思われる人が目を引いた。観音寺は、外国人に注目されるようなところなのか。僕が詳しくないだけで、もしかすると観音寺は日本以上に国際的に評価が高いのかもしれない。

 途中で乗り換え金毘羅参りをすることにした。予想以上に階段がきつく、途中のお店の人が杖を貸してくれるといったけど断り、何とか頑張って上った。日頃の運動不足がこたえる。さすがに琴平宮なかなかのものでした。帰りに参道の店でうどんを食べていたら、小学生の団体が通りがかり、「あ~またうどん食べている~」と言っていた。確かに朝松山駅で食べたけど、小学生は僕に対して言ったのだろうか。タイミングのいいこと。唆した大人がいるのかな。

 琴電に乗った。地方のローカル鉄道で、ガラガラかと思っていたけど、意外に乗客が多い。僕が高松に来るのも10年以上の久しぶり、単に立ち寄ったことが1回あったけどそれを除き、コンサートで3回目。琴電の瓦町駅は以前雨ざらしの駅だったけど、立派な駅舎が立っている。以前来たときこの近くのカプセルホテルに宿泊した。中の飲食コーナーで食事をした。なかなかよいカプセルホテルだった。今回は瓦町で降りず、高松築港駅へ。
久しぶりの高松だったけど、駅周辺が凄く変化している。コインロッカーに荷物を預け、駅横のスーパーでお弁当を買い食事をして会場へ向かう。
 
 過去2回工藤静香さんのコンサートで高松に来ている。一度目のときは前日広島でコンサートがあり、新幹線、マリンライナーを乗り継ぎ高松へ。駅から会場は近いけど、静香さんは車で行った。そのとき地元の若い女性が静香さんを見ながら、うれしそうな顔をして「KANさんですか?」としつこく言っていた。KANさんと静香さんは似ているのかな?静香さんとYさんが噂になったとき二人がよく似ていて区別できないという人もいたし、一応説明したけど、ずっと「KANさんですか?」といっていたのでそのままにしておいた。

 そのときそのあと高松中央郵便局に行きお金を下ろし、前の三越の屋上にしばらく座っていた。そのあとフェリーの待合室で時間をつぶした。すっかり気分が滅入り落ち込んでいた。自分はこんなことやって将来大丈夫なのか。他にもいろいろ問題を抱え、暗い気持ちになったけど、あることがあり立ち直り会場に向かった。1992年かな。

 その次に高松に行ったとき、一日開いて大阪2日間、一日開いて田辺というコンサートスケジュールだった。カプセルホテルに宿泊したのはそのとき。大阪の高槻だったと思うけど、そこに住む短大生の女性2人組のファン。コンサートを見ていると翌日学校の授業に出られなくなるからと言っていた。飛行機で高松空港へ行き、静香さんのお出迎えをし、タクシーで会場へ、途中で静香さんの車は追い抜き、先に会場へ到着。入り待ちをし、静香さんを迎えたあと、他のファンと少しおしゃべりをしたあと、飛行機で大阪に戻っていった。授業のためコンサートは見られないけど、静香さんに会いたいからと、空港の出迎えと入り待ちのためだけでわざわざ大阪から高松へ飛行機で来て帰っていった。女性ファンが凄く熱心だった。

 高松の倉木麻衣さんのライブ凄くよかった。松山は10列目前後の端だった。高松はもう少し後ろで、端と中の中間くらい。ツアー前半のライブでもトップクラスの楽しさだった。僕自身松山のときに比べても凄く楽しく、盛り上がりました。麻衣さんが大好き。ますます結婚したくなった。麻衣さんに会えるとき本当に楽しい。

 帰り、コインロッカーへ行ったら、横に置いた傘が入れ替わっていた。要らないのでそのままにしておいた。1992年のときは前日寝台特急「さくら」が兵庫県内で脱線転覆事故を起こし、ダイヤが凄く乱れていた。本来乗れないはずの寝台特急「瀬戸」に乗ったけど、朝かなり遅れて静岡県富士駅を通過。車内のアナウンスだと、途中から貨物線に入り、横浜には停車しない東京にいつ着くか未定。ということで振り替えの切符をくれ、熱海か小田原あたりで新幹線に乗り換えて東京へ。今回はそのときと同じ帰り方。「瀬戸」号もそのときに比べ一段と立派になり快適。

 ライブ・ツアーの思い出なんか書いていると、まるで僕が遊んでばかりいるようですが、そんなことはありません。ライブ・ツアーは1年のある時期だけで、しかも寝台特急などで東京に戻るときは、大体その日は仕事をやることがほとんどだった。8月に仕事を辞めて今は無職。

 麻衣さんに会うのが本当に楽しみ。ファンになってよかった。大好き。

(注意)ライブ内容についての詳しいことは、2005年、1月5日発売の倉木麻衣LIVE DVD"Mai Kuraki 5th Anniversary Edition Grow, Step by Step"で観てください。


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