語る城門「大戸」BIGDOOR正門

昭和38年製Bigdoorオヤジが身辺10m範囲の出来事を哲学したり雑学したりします。老後の楽しみ1つみっけ。

「ふ」 不成功の文字は超セールスマンの辞書にはない

2005-09-08 00:00:48 | Weblog
「ふ」 不成功の文字は超セールスマンの辞書にはない
・成功時のイメージで行動するのが超セールスマンの姿

 「靴下は左から履く」「勝負の前には肩を触らせない」…いわゆる「勝負師」と呼ばれるプロ野球選手やプロゴルファーでジンクスを持っていたり、アクセサリーを身につけて「縁起」を担いだりする人は多いようです。 我々も似たり寄ったりの験担ぎをしたりします。
 しかしながら、実は本当に「真の勝負師」は縁起を担がないそうですし、ジンクスなど持たないようです。 「赤いシャツで勝った」という成功体験を元にジンクスが作られるわけで、逆にそれは「負ける」イメージを深層心理に刻み込む作用が同時に起こるようです。ですから、成功も失敗もおそれずに勝負に臨んで行くためには極力、縁起を担がない方が良いようです。
 但し、リーダーは若干違います。いつでもチームを「成功に導く」姿勢が必要です。「我が辞書には不可能の文字はない」と後世の歴史家が創作したと言われる、後のフランス皇帝ナポレオンの名ゼリフもあながち創作とも言えないかも知れません。連戦連勝を続けるナポレオンが部下に訓示したとすれば、下士官以下全員がみな「成功イメージ」を抱いて難作戦に赴いたのでは無いでしょうか?
 ところでフランス革命勃発は西暦何年でしたでしょう?かつて受験勉強で慣れ親しみ諳んじた「火縄くすぶるバスティーユ」。「ひ1な7わ8く9…すぶる」=1789年です。

 では、この超歴史的大事件の時、ナポレオンは何歳だったでしょうか?

 その時ナポレオンは若干二十歳。当時、過激派であったジャコバン党に参加。急進的な改革を支持していました。そのため1794年のテルミドールの反動でロベスピエールが処刑されジャコバン派が失墜すると彼も投獄されます。
「我が辞書には不可能の文字はない」ナポレオンの人生は「火縄くすぶるバスティーユ」二十歳の齢で決していたのかも知れません。
 そして1804年5月18日皇帝になってしまいました。コルシカの男の子は不可能を可能にしました。

実はフランス革命の重要人物がもう一人存在していました。「庭球場テニスコートの誓い」を憶えていますか?そこで問題です。誰が「テニスコートに集まろう」と先導したのでしょう。
答えは「ギロチン斬首台」に名を残す、ギュヨタン伯爵。ギロチンは彼が作ったのではなく古くから南仏に存在していた「人道的な処計器具」。長く苦しまずに一瞬で絶命するから。かくいうギュヨタン伯爵も後年、斬首台の露と消えました。


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