阪神・淡路大震災から26年。
大阪市内のマンションに住むリリオー、大きなグラグラに何?
部屋の周りを見渡すと食器棚の扉が開きグラスや食器類が
バーンと落ちて散らばり椅子等が倒れグチャグチャ。
衝撃の大きさにこれは何が起こったのかと・・・
当時、割烹(ビル2F)ラウンジ(ビル1F)経営していたリリオーは
部屋をほったらかして店に走った。
割烹の食器は?厨房は?・・・心配していたが無事でホッ。
ラウンジもほとんど被害が無くてホッとした記憶あり。
店は大丈夫だったけれど割烹の予約はキャンセルの電話が入る。
(当然です)
ラウンジの方はスタッフからは「店、休んでも給料くれますね」と
強烈パンチが届き・・みんな生活が掛かっているんだから当然だが、
頭が回らず黙り込んでしまった。
テレビをつけると大惨事が次々映し出され、どうなるのと・こんな
ひどいこと・どうしてと涙し・・・
後日、お客様ご家族のご不幸をお聞きして涙し・・・
26年前の今日・胸の痛みは消える事はありません。