父方の先祖は広島県三原市、でも、父は若いときに大阪に出てきた
らしい。私は2度行ったことがある。父が亡くなって先祖代々の墓に
納骨するとき。あれは小学校4年生だった。家の近く(大阪市)に
墓地が空いて売り出していると聞き、母は買い求めて墓を建てた。
母と2人、父のお骨をもらいに三原に行った。高校生の時だった。
それから一度も三原市を訪れたことはない。
「三原は遠い、近くに買って良かった。何時でも詣ることが出来るし」
と言っていた母が急に三原に行きたいと言い出した。「何言うてるの、
お母ちゃんは三原に住んだことないし、墓も大阪にあるから行かんで
もええやん」「いや、お父ちゃん(主人)の産まれたとこ行きたいわ、
先祖の墓参りもしたい」そんな会話が2~3年続いたが、当時、私は
2軒の店をやっていて忙しく、ろくに話しも聞かなかった。
さわやかな5月の風が吹いていた日、母を墓参りに連れて行った。
母は言いにくそうに「やっぱり---」と切り出した。いつものように
行かんでもええと言おうと思ったけれど口から出た言葉は「そうやな、
行こう。何時にする?やっぱり、お盆がええかな」「ほんまか、嬉しい、
ありがとう」車いすに乗った母は私を見上げ何度も頭を下げ喜んだ。
母のにっこり笑った顔を見るのは久しぶりだった。
それから2週間後、3度目の脳梗塞を起こし、今度は目を覚ますことな
く半年後に息を引き取った。連れて行ってやれなかった。あんなに行き
たがっていたのに、もっと早く--遅い、遅いわ。
あれから、11年、急に父方のルーツを調べる気になった。
古い戸籍謄本を取り寄せた。2人兄弟かと思っていたら沢山、兄弟が
いて昔のことだから産まれて直ぐに死んだ兄弟姉妹がいて---。
住んだことのない三原の街の絵が浮かんできた。母もそうだったんだろ
う。父の話をいつも聞いて三原の人になっていたんだ。街中を父と仲良
く歩いている姿を描いていたんだろうと思った。
らしい。私は2度行ったことがある。父が亡くなって先祖代々の墓に
納骨するとき。あれは小学校4年生だった。家の近く(大阪市)に
墓地が空いて売り出していると聞き、母は買い求めて墓を建てた。
母と2人、父のお骨をもらいに三原に行った。高校生の時だった。
それから一度も三原市を訪れたことはない。
「三原は遠い、近くに買って良かった。何時でも詣ることが出来るし」
と言っていた母が急に三原に行きたいと言い出した。「何言うてるの、
お母ちゃんは三原に住んだことないし、墓も大阪にあるから行かんで
もええやん」「いや、お父ちゃん(主人)の産まれたとこ行きたいわ、
先祖の墓参りもしたい」そんな会話が2~3年続いたが、当時、私は
2軒の店をやっていて忙しく、ろくに話しも聞かなかった。
さわやかな5月の風が吹いていた日、母を墓参りに連れて行った。
母は言いにくそうに「やっぱり---」と切り出した。いつものように
行かんでもええと言おうと思ったけれど口から出た言葉は「そうやな、
行こう。何時にする?やっぱり、お盆がええかな」「ほんまか、嬉しい、
ありがとう」車いすに乗った母は私を見上げ何度も頭を下げ喜んだ。
母のにっこり笑った顔を見るのは久しぶりだった。
それから2週間後、3度目の脳梗塞を起こし、今度は目を覚ますことな
く半年後に息を引き取った。連れて行ってやれなかった。あんなに行き
たがっていたのに、もっと早く--遅い、遅いわ。
あれから、11年、急に父方のルーツを調べる気になった。
古い戸籍謄本を取り寄せた。2人兄弟かと思っていたら沢山、兄弟が
いて昔のことだから産まれて直ぐに死んだ兄弟姉妹がいて---。
住んだことのない三原の街の絵が浮かんできた。母もそうだったんだろ
う。父の話をいつも聞いて三原の人になっていたんだ。街中を父と仲良
く歩いている姿を描いていたんだろうと思った。