リリオーの日記

気が付いたことを書きます。

店をやめたことで23-1

2006-12-30 18:25:37 | Weblog
最終日、IWさんに割烹「吉田」に連れて頂く。現在この店に板前として働いている
森さんを訪ねて。森さんも私が割烹「文月」をしていたときに働いてくれた板前さん。東京でも修行していたようだが、新地の高級割烹で働けて良かった。頑張っているよう、顔も引き締まったようだ。久しぶりに逢って私も嬉しかったし、森さんも喜んでくれたようだ。最後になったが行って良かった。IWさん、ありがとう。
ISさん、ボックス席がいっぱいで「少しカウンターで」と言うと「カウンターで良いんですよ、僕、カウンターが好きです」といやな顔もせず座って下さった。沢山の百合の花を持ってきて下さったからお世辞を言うんじゃないけれどマナーの良いお客さま。何処で飲んでも好かれるだろう。私もこれから客として行く。見習わせてもらう。有り難う。
FUさんも1人になったけれどと職場「東大阪石切」から駆けつけて下さった。30年近いお付き合い。又、淀競馬場に連れて行ってね。ありがとう。
沢山の素晴らしいお客さまに恵まれて幸せだった。

店をやめたことで23-2

2006-12-30 18:23:36 | Weblog
別れは悲しいもの、でも私は泣かない。望んでやめるた事だから---。
でも、でも、泣いてしまった。11時半になり帰る女の子が出始めた頃、チーママのまきが女の子全員でママにと、かすみ草の花束を手渡してくれた。「エエエー私に」「ママ、ゆっくりしてくださいね」と「こずえ」と「かな」「ウワーン」アイラインが取れる化粧がなんて考えている間はない、2人を抱きしめて泣いた。女の子達も泣いてくれた。
我が儘で店を閉じるのにみんな怒らず最後まで働いてくれた可愛い子供達に私はメッセージを書き、早い時間に更衣室に張った。
-最後まで有り難う!終わっても仲良くしてね。何か困ったことがあれば何時でも電話下さい。少しでも役に立てば嬉しいです---等々。
そのメッセージに寄せ書きをしてくれ帰りしなに見せてくれた。
「有り難うございました。又、メールします。最後まで働けて幸せでした」まき
「2年半でしたが、本当にお世話になりました。ママに色々と教えて頂いたことを忘れずに頑張ります。有り難うございました」こずえ
「ママ、本当に有り難うございました。1年半でしたが、凄く勉強になりました。本当に沢山教えて頂きました。有り難うございました」かな
「ママ、長い間お疲れ様でした。心からママのことを感謝しています。良いお正月を迎えて下さい」れい
「ママ大好き何も出来なかったのに色々教えてもらって女のらしくなりました。大大大大好き、ママ、お母さん」みどり
これで泣かずにおれますか。泣いていいですよね。丁度その時、NIさんから電話が入りる。「ママ、大丈夫?」と「大丈夫じゃないの、みんなに良くしてもらって泣いているのワアーン」泣かないなんて突っ張ってはあかん、泣くときは泣けばいい。みんなのメッセージ後生大事に持ちます。(無くさないようにしなあかんな。金庫に入れとこか、空っぽの金庫に)皆様、娘達が次ぎに勤める店に入ってやって下さいね。お願い致します。

店をやめたことで23-3

2006-12-30 18:17:13 | Weblog

「あら雪が降っている」
カチッと最後の鍵を閉め、外に出ると粉雪がネオンの川に流され虹のように舞っていた。私はコートを脱ぎ霜香を覆うようにすっぽりと包んでやる。
「まるで曽根崎心中のおはつ、徳兵衛の道行きのようね」
以下省略
新地本通りはもう誰も歩いてはいない。おはつと徳兵衛だけだ。
以下省略
霜香は私の顔に降りかかる雪を可愛い手ではらってくれ小さく頷く。その手を右に左に振り精一杯の笑顔を浮かべ頭を下げた。「有り難う」そして振り返ることなく御堂筋を北に歩いていく。泣いているのか、涙をこらえているのか、か細い肩が震えている。「霜香」私は呼び戻そうと走りそうになるが身体は動かない。小さな身体が一つの点になり、白い雪の中に消えていく女をただ見つめているだけであった。  (私--相沢と言う名の男、霜香--スナックのママ)
これは以前、HPで連載した小説の一部。霜香が店を閉じる場面。
私もやめるときはこういう風なやめ方が良いなあと思いながら書いた。
29日は雪らしいと聞き、私は密かに期待していた。きっと最後は私が好きだったという男が現れ粉雪舞う新地本通りを2人で寄り添いながら歩くんだ。私にふさわしい最後の舞台が待っている。やるぞ-
「さあ、店も終わりや、みんなでカレーうどんでも食べに行こう。うどんは香川やな」
「嬉しい、私、カレー天ぷらうどんにする、おでんのスジもええなあ」とみどりは言う。
(そうかな)私は黙って付いていく。
「ああ、暖まった、帰ろうか、タクシーで送っていくし」IKさん。
「いえ、私、結構です、ほっといて下さい。構わんといて下さい」(きっと私を迎えに来てくれるナイトが--来てくれる。きっと、きっとーーー)
「かまへん、気使わんとき、みんなで帰ろう」タクシーで順番に送って頂きました。
夢と現実の違いがあまりにもーーー。チャンチャン。
IKさんも長い間お世話になりました。有り難うございました。

「百合ちゃんの定年後の話し」として来年から再出発しょうかと思っていますが、どうなりますか?
まずい文章を読んで頂き有り難うございました。

 


店をやめることで22

2006-12-29 15:08:40 | Weblog

「来たで-。今日、来ないと僕は、これから新地に飲みに来られへんで。世話になったママの最後、義理欠いたら新地に来られなくなるで(
何を言われますのん、NAさん、お世話になったのは私の方です。有り難う)
「ママ、これ見て」文部科学省---を受賞されて尼崎のアルカイックホールでパーティーが開かれる、その案内状を見せてもらった。凄いね。35年前に私の母の入れ歯を作ってもらったIさん、何時も私の方が楽しませてもらった。でも未だ、約束を守ってもらっていないことがある。帝国ホテルの久兵衛だ。はよ連れてって久兵衛へ!
○「30年か、よく飲んだね。楽しかった」(10人入っていっぱいの小さな店でKIさんには家でも作られない卵焼きを作って頂いた。終わってから居酒屋で朝まで飲んで楽しかった。有り難う)
ママは30年か、長いことお世話になった、ふっと行きたいと思う店がなくなるのは、淋しいね。
(初めはお1人と事務員さんから始められた事務所もドンドン大きくなって、関西の重鎮になられているKAさん、長い間有り難う)
どうして?大阪で気持ちよく飲める店が無くなるなんて困るじゃないですか???最後の日までに行きたいなあとメールを下さった現在は水戸におられるMIさん。「MIがどうしても大阪に来られないので代わりに行ってくれと頼まれて来ました」とYAさん。(MIさんは何人でも付いてこい、何時でも飲もうと豪快な飲みっぷり、綺麗な飲みっぷり。自営業じゃなくサラリーマン、支払いは個人払い。最後まで面倒見て頂いた。有り難う
皆様にお世話になったのにお客さまから世話になったねと言って頂き恐縮。どれだけ恵まれて幸せだったか、ぺちゃぱい胸がキューン!短い足がガクガク!お腹がダブダブ!の感激!
まどかちゃんが飲みに来てくれた。女の子が帰って足りなくなり、「まどかちゃん、YOさん、覚えているでしょう。席について仕事して頂戴、昨日も仕事手伝ってと電話しょうと思っていたのよ。早く働いて頂戴」「ハイ、仕事します」
私がやめると聞いて飲みに来てくれたのに仕事をさせる私。「人使いの荒いママの正確解っています」と言ったかどうか、私の耳がピクピク。
朝までOKさん、まどかちゃん、みどりと「まるとく」で飲む。みんな付き合ってくれて有り難う!

さあ、最後の出陣だ。
雨が降っても大丈夫のヘアーセット、36年も同じスタイル、着物を着るのも早くなって(ちっとも上手にならなかったけれど)キュッと帯を締め、後は燃えるような口紅をさして出来上がり!行くゾー 。
--ようこそ、いらっしゃいませ。さろんど沖野でございます--


お店をやめることで21

2006-12-28 11:08:16 | Weblog
衝撃の告白第2弾
「僕、MIちゃんとMUちゃんとやったことある」
名古屋から出張の折来てくれていたHOさん。びっくり、だいたい女の子達の行動は聞かなくても解っている。黙っていても誰と誰が--なんてこと解る。それでないと、ママが勤まらないと思っている。又、MUちゃんは何でも話してくれたし、遅くまで仕事をしてくれ終わると食事に行ったり飲みに行ったりでHOさんと逢っていたなんて考えられない。
「うそ-」
「いくら遅くなってもホテルのドアーを叩いてくれた。MIちゃんもホテルに泊まるんやったら家においでと言ってくれたので、良く行った」
益々びっくり!
「MIちゃんて貴方より年上よ。別に男と女の間に年齢は関係ないけれど」
「うそやーん、○○年生まれと言っていたで」
「それならそれでいいやん、女の年齢なんて自分で決めるもんだから、でもMIちゃんと私、年齢が変わらないよ」
「うそ、ママと一緒くらいなんて怖いわ、おばはんや-ん」
「失礼な人やね、私も20年以上前は、若かったわ、それに私こそ、びっくりや、ようやってくれたわね」
「昔のことや許して」
ほんま!昔はこんな話したくさんあった。今の女の子は夜の仕事は家賃や豊かな生活をするための手段と割り切っているので、面白味がかけるかな。時代の流れね。
前に書いた顎髭ボウボウの先生、東京から駆けつけて下さった。
-長い間有り難うございました。再起の可能を信じご連絡を待っています-
とメッセージカードを添えて。嬉しい有り難う!

店をやめることで20

2006-12-26 15:09:56 | Weblog
-別れと言えば 昔より この人の世の 常なるを  流るる水を 眺むれば-
「島崎藤村」の「惜別の歌」
OKさん、「みんな連れてきたよ」と部下の方達を大勢連れて来て下さった。OKさんは大阪に来られてまだ2年くらいになられるけれど、随分お世話になった。部下の方と言ってもみんなお偉い人ばかりなのに、偉そうにしないで何時も楽しく女の子達にもやさしく綺麗に遊んで下さった。素敵なお花をプレゼントして下さって、帰られる最後に歌って下さったのが「惜別の歌」涙がこぼれそうになるともう1曲と言って、「涙のリクエスト」を歌われ、「FOU  YOU」と皆さんで私を包んで下さった。嬉しい、有り難う!
今年になってから来て下さるようになったAさん。真っ赤な薔薇を頂いた。これからも赤く燃えて進んでいくようにと。嬉しい。有り難う!
「パコタ」で始まり「パコタ」で終わる。
T会社の皆さんに初めて食事をご馳走になったのは環状線桃谷駅近くの焼肉レストラン「パコタ」最後もこの店でと女の子全員招待して頂いた。何回も何回も色んな所でご馳走になった。それも女の子全員おいでと分け隔て無く誘って頂いた。嬉しい。有り難う。
お店を開店して直ぐからのお客さま、NさんとUさん、ケーキをいっぱい持って来て下さった。昔話に花が咲く。嬉しい。有り難う!
玉造で割烹「正味や」を営業している清原さん。お花を持って来てくれた。
「喜多朗」も「正味や」も割烹「文月」をやっていたときの板前さん。ずっと付き合ってくれている。嬉しい。有り難う!
営業日あと4日。来てね。手ぶらで来てね。お顔を見せてね。それが一番のプレゼントになるわ。厚かましいお願い!ごめん!

店をやめることで19

2006-12-25 13:56:30 | Weblog
石原真理子じゃないけれど、衝撃の告白をしょうか。
と言っても私の事は大きな事件はないし、お客さまと女の子の関係をばらすのは、新地の仁義に反するし、アア-言いたいし言えないし--。
そんなところにFさんが来た。この方の事は自分で話されるので衝撃の告白にならないが、店の女の子と関係した過去がある。
「なあ、ママ、僕はこの店の女の子としたのは2人だけやで」
「そうそう、MちゃんとKちゃんね」
「僕は、ちゃんと面倒も見るしきっちり別れている。2人とも結婚した」
「そうそう、トヨタのセルシオくらいしてあげたわね。でも、2人じゃないでしょう?他にもした子がいるでしょう」
「ママが進めて1回だけした子もいたかな」
「何で、私が進めますのん、私も1回して欲しかったわ」
「あかん、あかん、ママは要らんわ」
男と女の関係は秘密が良いけれど、Fさんの話はみんな知っているし良いわね
Mちゃんと関係したのはもう20年くらい前、Mちゃんは結婚して広島にいるとFさんから聞いたけれど、20年経てば何才になっているのだろう。Fさんとのお付き合いも、なんだかんだと話しながら30年。少し病気をされて新地には来ておられないけれど、最後はきっちり来て下さった。
そうそう、Kちゃんも2人の子持ちの母となって幸せになっていると聞く。

店をやめることで18

2006-12-24 18:59:53 | Weblog

世の中楽しいクリスマスイブですが、私は最後の詰め、請求書を黙々としています。30年間、沢山作らせて頂きました。儲かったやろうと言われますが、全部、私のものではございません。家賃光熱費、給料、酒代等々支払わせて頂きまして、取り分は、ほんの少しで残りませんでした。まあ、今まで生活出来、沢山の方とお話しさせて頂いたことが良かったと思っています。ハイ。
これからどうなりますか???
23日は、勿論花園ラグビー場へ出陣だ!「コカコーラウエスト」-「リコー」前半リコーの独壇場で駄目かと思ったが、後半に逆転。向井監督バンザイ!
東芝府中は危なげなくトヨタに勝つ。東芝府中のバツベイ選手、ごつい身体を生かして決めるトライに胸がスーッとしたね。ご一緒したOさん、携帯にバツベイ選手を写したと見せてもらった。試合が終わりほっとした笑顔が可愛いかった。(ほんまは優しい人よ)
Yさんは初めてご一緒したけれどラグビーに詳しい。ノットリリースザボール、スローフォワード等々、反則用語が出てくる。私なんか、あれ?何?と思っている間に次のプレーになっていたりして駄目ね。
終わってから11日に来てくれた筒井さんの店「喜多朗」(八戸ノ里にある)北区南森町にある「主税寿司」に行き何時ものように酔っぱらう。ほんま、30年間、身体が壊れなかったと自分ながら感心する。
今日の有馬記念「ディープインパクト」強かった。納得。3着までにメイショウサムソンがくればもっと納得だったけれど。


新地をやめることで17

2006-12-23 10:22:33 | Weblog

早く行きたいと思っていた天満天神繁盛亭に行った。
桂文珍門下による「桂文春追悼公演」落語に詳しくないので(何でも詳しくないやないか、ほんま)41才の若さで亡くなった文春は知らなかった。
桂珍念、桂楽珍による、「時そば」「宿替え」面白かった。何度聞いても面白いネタだ。新作も良いけれどやはり昔ながらのネタを聞くのは良い。若い落語家達の登竜門の繁盛亭、丁度良い大きさだし地の利も良いので繁盛して欲しい。
昨日、金曜日の新地は何年ぶりかで燃えたね。何時になってもタクシーが無いなんて凄い。タクシーも閑なときはドアーを開けて乗って下さいと頼むくせに、昨日は乗車拒否のオンパレード、そんなことをしているから嫌われるんだ。
新地も毎日こんなに忙しかったら良いのにね。頑張れ新地!
あ、これから、花園ラグビー観戦に行くぞ!コカコーラーと東芝府中の応援だ。


お店をやめることで16

2006-12-22 15:03:40 | Weblog

9月30日に書いた店「一歩」さん、みんな行ってくれた?
昨日、「一歩」さんのお父さんの店鉄板焼き「レンガ亭」に連れて頂いた。
「かな」「れい」と。生レバー、牡蠣とセロリのバター焼き、鱈白子の醤油焼き等々、何を食べても100点満点。お好み焼きはどこにもないおいしさでどんな工夫がしてあるのか解らない。何だろうと何時も思うけれど?企業秘密だ。
隣で営業している息子さんの店「一歩」さんから、チャーシューラーメン、しそ餃子を出前してもらった。隣同士の店なのでOK!プリプリの餃子、たまらないね。生ビールお替わりと大きな声が出るよ。丁度、元関西テレビアナウンサー、現在はフリーで大活躍の梅田淳氏が来店していた。ゴルフコンペにも参加するくらいのレンガー亭さんのファン。食通で有名な淳氏も進める店だ。
涙のないワイワイガヤガヤの送別会をして頂いたOBさん、有り難う。
店は今年やめた「ともこ」ちゃんが来てくれた。何時も口癖のように言っている私の言葉「水商売だからと言って舐めては行けない、立派な仕事、この仕事を一生懸命やっていたら良いお嫁さんになるし、何処に行っても仕事が出来る。その通り、「ともこ」チャンは昼の仕事1本にして頑張っている。あとは可愛いお嫁さんになることかな。待っているよ。
青森県の「昌子」ちゃん、又、色々送ってくれた。カードが入っていた。
--長い間お疲れ様でした。来年はママの為に過ごして下さい--
有り難う!本当に有り難う!