満珠・干珠(まんじゅ・かんじゅ)
日本書紀によると、その昔神功皇后が三韓(その時代朝鮮半島を支配していた、新羅・百済・高句麗の三国)征伐をすることになり、下関市長府に宮を置き、戦勝祈願をしました。 すると、海の中から住吉の神が現れ、龍神から「干る珠・満ちる珠」を借りるよう告げました。 この2つの珠は、潮の満ち引きを自由に操ることのできるものでした。 最初の対戦相手の新羅海軍は、大軍を擁して日本に攻めてきましたが、まず神功皇后は沖に向かって干る珠を投げました。 すると、たちまち海は干上がり、新羅軍はやむなく船をすて、歩いて攻め寄せてきました。
もう少しで陸地だというところで皇后が海岸近くに向かって満つる珠を投げると、今度はみるみるうちに潮が満ちてきて、新羅軍の兵士はおぼれてしまいました。 その後皇后は朝鮮半島へ渡って戦いに勝利を収め、山口県長門の浦に凱旋すると、龍神に感謝して戦勝祝いの儀式を執り行いました。 そして2つの珠を龍神に返すべく静かに海に沈めると、その海域に2つの島が浮かび上がってきたと伝えられています。 その2つの島が、下関市沖に今も浮かぶ「満珠・干珠」の島々だと言われています。
昼食の後、第2弾石アートに取り組むため、壇ノ浦の海岸へ石の物色。
目の高さに周防灘(瀬戸内海)が広がり、絶景。
オバサンの幼い頃このあたりは、『下関水族館』でした。
台風で壊され、いくつかの魚たちは海へ、
現在、水族館は唐戸市場の近くに移転しています。
豊巧神社からの瀬戸内の眺めは絶景。
『日本一の日の出』と書かれた看板もあり、
今年(来年?)は是非初日の出をここで。
海岸砂浜から陸地を見上げると、見事な石垣に囲まれており、
民家の石垣にしては…やはり城址でした。
櫛崎城、いわゆる長府城らしい。
さすが、毛利様のおひざ元、長府城下町。
生まれ、育った故郷ですが、
甥と『午後の息抜き』と称して1時間程のドライブ散策。
知らない、行ったことない場所が沢山あり、
年齢を重ねやっと故郷の良さを感じるこの頃です