昨日はお茶会の後
使った道具を
お手伝い下さった道具屋さんの
手を借りて
床の間に並べました
一夜明けて
今日は昨日お越し下さった方に
御礼のお電話をしたり
メール・手紙などをしたため
また会計を整理したりしながら
一日を過ごしました
昨日のお客様から
大綱和尚の瓢画賛のお話を
伺いました
茶道雑誌9月号に載っていたとのこと
帰宅して確認してみましたら
確かにその頁を開いた記憶はあるのに
なぜかその左の頁の
お点前の写真に目を奪われて
うっかり見落としていました
(以下引用)
汝瓜の類にゐて
包丁の難にあハざるは智也
鯰を押へてのがさしむるは仁也
羽柴公の馬印となりて強敵をくだくハ
勇也
汝性ハ善也といふべし
一見何の取り柄もないような
瓢箪瓜の
「智・仁・勇」
なぜか心を惹かれます
さて話は変わりますが
大寄せ茶会でお釜を懸けるなんて
十年程前の私には
思いもよらないことでした
正に「瓢箪から駒」の話です!
もっと遡れば
学生時代から高校教師になり
専業主婦になってその後
音楽の仕事を始めた頃の私にとっては
「お茶を教える」
なんてことも
全く想定外のことでした
しかしながら
今になって振り返ってみますと
現在の私にいたる道筋が
不思議なほど
目の前にパタパタと
用意されてきたような
気がするのです
それを思うと
ただただ感謝あるのみです
60代も後半となり
そろそろ70代の生き方を
考える年齢となって
人生において
自分の果たすべき役割が
朧気ながら
感じられるようになってきました
その一つが
この「茶道」という
美しい心の文化を
大切に守り
次代へ正しく伝えてゆくことに
あるのではないかと
いうことです
それは単に
茶道の「普及」や「広がり」と
いうことでは無く
茶道を通して
綿々と受け継がれてきた
その心を
しっかりと受け止め
それを
伝えるべき人にきちんと伝えて
守ってゆく
そういうことかなと
私は感じています
それでは具体的には
どのようにしてそれを伝えるのか
答えは一つでは無いでしょう
自分の役割を自覚しつつ
その道を模索し
同じ心を持つ方々と手を携えて
臨機応変に歩んでゆこう…と
覚悟するところに
今ようやくたどり着いたような
気がしています