表千家一期一会

口切茶事  雑感


此の度の
口切茶事では

お茶屋さんで
新茶を詰めていただいた壷を
床に飾りました


初めて
実際に壷の口を小刀で切り
中から葉茶を取りだすという体験をしてみて

あらためて感じたことを
おもいつくままに
書いてみようと思います




これまで
「壷飾」は
習い事のひとつとして
何度もお稽古いたしましたし
「口切」と称して
お稽古茶事も催して参りました

しかし
実際に新茶を詰めていただいた壷を
床へ置く時
その気持ちは
これまでとは全く違った心持でありました


この中に
今年摘み取られたお茶が
詰まっていると思う時

それは
単に壷を「飾る」
という行為ではなく

たとえば
今年採れた初物を
神棚にお供えして
その恵みに感謝してから
いただくという

日本人にとっては
ごく当たり前の気持ちに通ずる営みなのではないかと
そんな気がいたしました



御茶入日記に書かれた
「五月二日」「五月三日」
などの文字を目にすると

今年の初夏
茶畑で新芽を摘み取った人の手を感じると共に
自然の恵みを受けて育ったお茶の命が
とてもリアルに感じられてきました


私たちは
お茶の点てられた茶碗を手にした時
まず始めに
「おしいただく」
という所作をいたしますが

その時の気持ちに通ずる
「いただく」ことへの大いなる感謝が
この壷飾りの行事にはあるような気がいたしました




慣れない手つきで
壷にかけられた和紙を切っていきますと

やがて蓋が動き
口が開けられました



この状態で
既に
お茶の香しい香りが
ぱっと拡がり

その香りは
鼻腔を通って
頭の髄まですうっと届きました



和紙の蓋を取り外しますと

茶葉の深い緑色が現れ
お茶の瑞々しい生命を感じました


あらためて

今年
このお茶で人をもてなし
稽古を重ね
また
私自身もいただくことになるのだという
喜びがこみあげて参りました





昔のお茶人は
このように壷に詰めて届けられたお茶を
実際に石臼で挽いて
一年使ったということですが
現代の私たちは
既に挽かれて缶に入ったお抹茶を
年中買ってくることができます


便利になった一方
忘れ去られていく昔ながらの感覚を
此の度の稽古茶事を通して
私は
あらためて感じることができたような
気がいたします


表千家の稽古では
茶壺に葉茶を入れて飾ることは
あまりないようです

しかし
今回実際にお茶を詰めてみて思ったのは
それは
単に省略をしている
ということではないのではないか


むしろ
「壷を飾る」という行為は

新茶をいただくことへの畏敬の念と
それを祝う気持ちが

象徴的に
ある意味観念的に
昇華された表現の形なのではないかと

そんな気がいたしました



コメント一覧

tomoko
日に日に寒さがつのって参りましたが
雲や先生は、「北風と太陽」の”太陽”みたいな
先生でいらっしゃることに、今更ながら気づきました。
いつも、ありがとうございます。
また、来月にはO様ともに、おめもじ楽しみにお待ち申しております。
雲や
実際に実入りの壺を飾った茶人でなければ出来ない,含蓄の深いコメント、意義深く拝読しました。
本日、O氏のところで、この口切り茶事のことで、とても我々にまねの出来ない事であると何度も感嘆し合いました。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「つれづれ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事