古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

台北の最低最悪ゲストハウス

2010-04-11 02:41:26 | 日記
  還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その39

2010年4月8日(木)
 台北駅近くのゲストハウスに滞在したが最低最悪だった。
 
 普通のアパートを改造してドミトリー形式の宿にしている。ベニヤ板で間仕切りをしているので隣の隣の部屋の音が鮮明に聞こえる。
 宿にはオーナーなのか、タダの管理人なのか解らないが、30才代後半位の日本人が居る。初めて訪ねた日に宿帳風の普通の大学ノートに氏名、パスポートNo.、住所、連絡先の電話を記入して、そして部屋の鍵と玄関の鍵との使い方を説明してもらっただけで何の挨拶もなかった。宿泊費を前金でお願いしますと言い、金を受け取るとそそくさと自分の部屋へ引っ込んでいった。
 
その日の夜11時頃に、そのリビングルームで同宿の若者と普通に今後の予定等を話していた。先の日本人が部屋から出て来て、我々が普通に視ていたTVのボリュームをもう聞こえそうもないくらいにまで下げて、
「奥さんが寝たので静かにしてください。」と言う。
 おい、おい、何を言ってるんだ、ああああああ?  誰が寝たあああ? そんで何と言ったあああ? 確かに中国語を話している女性が居た。
「12時にはリビングの電気を消してください。12時以降は会話はしないで下さい。」
「部屋の電気も12時には消してください。荷物の整理などもしないで下さい。シャワーなども使用しないで下さい。」
 おい、おい、何を言ってるんだ、あああああ?  何だとううう。

 それが金を取って泊まらせた客に対する言葉か?
 まるで監獄並みじゃないのかい。いやまだ監獄には入ったことがないが、留置場の前で母親に迎えに来てもらった事はあるが。

 何がしかの金を取って迎えたなら、幾らGH(ゲストハウス)とはいえ多少のサービスと、そこで共に幾日かでも生活するなら、オーナー若しくは共生の管理者の多少の不自由を提供しなければ成らないんではないでしょうか。
 宿の造りはまあ仕方が無いとしても、「主」が管理人ですか。

 公の営業許可証も無いようなGHではこれが当たり前なのだろうか。台湾ではGHの営業許可証は必要無いのだろうか。近くには「O オー」なる老舗のGHも有る様だが如何なのだろう。
 安いだけのことはある。 

 全てがこんな調子だ。
 二日目の朝に、こんな宿は出ようとしたが、前金で宿泊費は七泊分全部払っている。キャンセルすればその対応のだいたいの事は予想出来る。
 結局、面倒なだけなので我慢することにした。たった一週間だ。あとは決して利用しなければいいのだから簡単だ。そう思って諦めることにした。もう二度と利用しなければ良いのだから。
 朝は八時前に出て、夜の八時に帰ってこよう。GHは余り居ない様にしようと決めた。
 
 最後の「決め」はこうだった。

 明日の朝、7時頃に出発しますと言うと、
「はい、寝てますので、鍵はそこの箱に入れてて下さい。」
 はあ、おい、おい、あああ?  それが出発する客に対する挨拶か、あああ?
 当然、その朝は一人静かに宿を去ったのは言うまでも無い。 
 
台北の「最低最悪のゲストハウス」と呼んでやろう。

台北の日本

2010-04-10 11:43:38 | 日記
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その38

2010年4月4日(日)

 日本を出たら日本の匂いのする所にはなるべく近づかないようにしている、と先日書いたが、台北には日本があまりにも多すぎる。
 前言を取り消さないと台北では生きていけそうも無い。それぐらい日本の日常がある。生活のあらゆる所で日本が生きている。

 M百貨店の地下食品売り場は完全に日本仕様であり、百円ショップDも衣料品のUも完全に日本仕様である。ただし、日本仕様でもそれらの生産国は主に東南アジアのいわゆるASEAN諸国と韓国、中国だ。中国製やベトナム製、韓国製の製品が日本仕様で作られ、当然日本語の表記で台湾に輸入されて売られている。日本から輸入したことを声高に謳っている。それを売りにしているのだ。

 日本の料理店、百貨店、普通の店、会話教室等々も至るところに有る。龍山寺の旧市街保存地区は日本統治時代そのもののような気がする。昔の日本と同じ街並みがそこにある。そして、そんな地区の裏のひっそりした所に昔の日本情緒たっぷりの史跡がある。
 捜さなくとも見つけてしまう。それが二宮金次郎の銅像だったり、弘法大師の像だったり、昔の神社の鳥居だったりする。

 その一方で昔の普通の家並みや旧市街地が壊されている。多分、もう数年のうちに、それらは再開発と言う名の美名によって破壊されてしまうだろう。日本でもそうだった様に、台北の今の発展地区においても同じような行為によって全てが無くなってしまうだろう。

 時代がそうさせるのだろうか、余りにも忙しすぎる。もう少しゆっくりと、じっくりと時を過ごせないもんだろうか。

 年寄りが昔を単に懐かしがっているだけなのだろうか。それとも時代そのものにもう乗れないからなのだろうか。

がっかりの国立故宮博物院(台北)

2010-04-03 22:41:56 | 日記
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その37
2010年4月2日(金)
 台北の国立故宮博物院に行って来た。
 
 翠玉白菜、雕象牙透花人物套球、肉形石、清明上河図等を観覧した。確かに観覧したが、期待が大きすぎたのか今一と言うのが正直な感想だ。
 二三日通おうかと思っていたが、一日で十分だ。展示品が余りにも少なすぎる。観覧料金160元 音声ガイド代 100元。
 詳しくは故宮博物院のホームページを見て貰ったほうが良い。

 世界三大がっかり観光地と言われるのはシンガポールのマーライオン、コペンハーゲンの人形姫、ブリュッセルのしょんべん小僧だが、小生にとっては故宮博物院に余りにも想い入れが強かったのか、はっきり言って、久しぶりにがっかりした。

 台北には新光三越と言う名のデパートがあちこちに在る。その一つに行って来た。わざわざ行った訳ではない。偶然に通りかかったので寄ってみたのだ。
 日本を出たら日本の匂いのする物にはなるべく近づかないようにしている。日式、日本式等の接頭語が付く物は東南アジアの国々では、高級でやたらに高い物だと思うからだ。実際にこの国では日本から輸入しているわけだから、日本での価格よりよほど高い。そんなこんなで、現地では現地の物で生活しようと思っている。
 そんな訳で三越に行ってびっくりした。日本では久しく見ていなかったエレベーターガールが居たのだ。何年ぶりかで見たその仕草に見とれた。確かに昔の三越で見たような仕草だ。台湾の風習ではないと思う。
 「いらっしゃいませ。毎度ご来店頂き有難うございます。ご利用の階をお知らせくださいませ。」当然現地語だが、多分こんなことを言っているのだろう。
 久しぶりのデパートガールの仕草に見とれた。こお言った意味では偶には日本の風習も良いもんだと思う。

再びの旅立ち

2010-04-02 22:29:34 | 日記
  還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その36

2010年4月1日(木)

 夜行バスで新宿の西口に着いたのは朝の5時30分だった。何時ものことながら夜行バスは疲れる。しかし、何と言われようがとにかく安い。それ以外に何もない。
 わが街から東京までは新幹線でほんの数時間で行くことが出来るが約一万円の旅費になる。バスだとそれが参千円ですむ。それ以外に何の理由が必要だと言うのだろう。

 新宿から成田まで幾らゆっくり行っても三時間もあれば十分だろう。新宿や上野でうろ付いても仕方がない。田舎者の苦しいところだ。早々に成田に移動する。

 成田に着いたは良いが、中華航空の出発時間までは優に五時間の待ち時間がある。さらに最悪なことに折り返し運行のために、到着便が遅れているので予定出発時間が遅延するという表示が出ている。

 そんなこんなで、台北のゲストハウスに着いたのは午後八時を少し過ぎていた。

 今年の一月からの行動を少しも書いていなかったが、色々とあって、ラオス、タイ、台湾等を通って二月末に日本に一時帰国した。
 三月を丸々日本で過ごた。田舎の冬は厳しい。それで野暮用を早々に済ませまた出てきた。

 予定は未定だが元気に歩きたいと思う。

 台湾は、台北の故宮博物館で白菜を見るのがたった一つの楽しみだ。

 一月から三月のことは追々書くことにする。