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いわゆる歓喜仏(甘粛省博物館蘭州市)
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その134
2011年11月28日(月)
新田次郎の「孤高の人」を読む。
三十数年前に読んでいた本が四川省の成都の宿にあった。
加藤文太郎に憧れていた時代があったから懐かしかった。
彼のような山行が出来なかったから尚更、想い出された。
三十数年前の冬の剣岳や、八ヶ岳、富士山の山行の事が想い出される。
初めて行った剣岳の印象は今でも鮮明だ。
先輩のKさんとの初めての山行だったが、何の不安も無く付いて行った。
富山から室堂に入り、別山乗越の小屋に泊まり、剣岳を往復した。
立山に登り、黒四ダムに下り大町に抜けた。
美女平辺りまでは見事な紅葉だったが、室堂では吹雪いていた。
確か、11月の上旬だった気がする。
冬の八ヶ岳も素晴らしかった。
主峰の赤岳を南面のびっしり雪の張り付いた沢から登った。
東北の山を歩いていた我々は、岩場よりも、雪の張り付いている急な斜面の方が登り易すかった。
岩尾根は順番待ちで長い行列が出来ていた。
その脇の急な沢を詰めて何とかの頂に登り、帰りはグリセード(ピッケルを支えにして、斜面を滑り降りる方法)で一気に麓まで降りてしまった。
順番待ちなど考えられない事だった。
都会の人間はこうやって登るんかと改めて驚いたのを覚えている。
八ヶ岳からの富士山があまりにも綺麗だった事と、予定より早く八ヶ岳を縦走出来たので、その足で富士山にも登ろうと言う事になり転戦した。
五合目の佐藤小屋は、明日で冬篭りで閉鎖すると言うギリギリのとこだった。
次の日に富士山頂上まで往復し、その足で御殿場から汽車に乗って帰ってきた。
縦走中の赤岳の石室に泊まった前後は吹雪かれたが、全体に天候に恵まれた。
何とも慌ただしい山行だった。
元気だったんだねと思わずにはいられない。