ブログを始めて明日で6000日になる。
第1回目を見ると。2005年の8月22日になっている。このときの思いというか、決意は全く覚えていない。以前も書いたことがあるが、横浜市にいたときから、HPをつくっていて、いくつかの記事を書いていた。
とても内容の濃い、記事だったように思う。なぜならば、誤って消去してしまい、いろいろさがしてもらったが、もはや見つからないからである。逃がした魚は大きい。
本格的にブログを始めたのは、大阪国際大学を辞めて、1年間の無職期間があり、その間、いわば連絡先として、ブログを書き始めた。
直近の5000日から6000日までは、本当にあっという間だった。時に、コロナが流行った後半は、時間がたつのがとても速い。年を取ったせいもあるかもしれない。
この間、いろいろなことがあった。一番は、今ちゃんが死んでしまったことである。今ちゃんは、私のゼミではなかったが、1年生の時から、一緒に合宿に行ったりした。一緒に本も書いた。卒業してからも、お菓子をもって、しばしば研究室に来てくれた。もうすぐ、亡くなって2年になる。
コロナになってから、連れ合いと二人で旅行に行くことがなくなった。連れ合いは、コロナをとても心配するので、私の行動も自制することになる。義理を欠くこともしばしばである。しかし、心配をさせるわけにはいかないので、あえて義理を欠いている。
このブログは、最初は、研究の為であった。むろん、今でも研究が主力で、時々、思い出したように新たな関心テーマの論考を書いている。これが新しい本の元になる。最近出した『自治するまちのつくり方』や『選挙はまちづくり』は、このブログが素材になっている。
途中から、私が死んだあと、残った連れ合いが、読むようにと、二人の旅の記録やマロンのことを書くようになった。連れ合いは、ラインやネットをよくやるが、このブログにはまだ、行きついていない。「松下啓一」で検索したことがないのだろう。
私が死んだときには、見つけて読むのではないかと期待しているが、それでも「読まないんじゃない」という意見もあり、最後のゼミ生のももちゃんに頼んでおいた。ももちゃんなら、忘れず、「センセイのブログありますよ」といってくれるだろう。
このブログから次に生まれる本は、『若者参画政策』(第一法規)である。2月末が校了なので、やや余裕で、楽しみながら書いていたが、気がついたら残り30日強となった。1月中に大まか書き終えて、修正に時間をかける計画であったが、油断した。『一緒にやる協働』の本も、そのうち、声がかかるだろう。ただ今声がかかると、ダブルになるので、あと2か月くらいは、そっとしておきたい。
その後では、『初めての条例づくり』も、このブログを基に、本が書けるだろう。政策法務は、類書がたくさんあるので、なかなか書く気にならないが、書き出せば、オリジナリティあふれるものになるだろう。
ひそかに考えているのが、『オルソン問題』で、ブックレットのような形で出せるメドがついたら、書き始めよう。『若者参画政策』が足踏みしたのは、こちらに走ったせいである。
今年は、二人で旅に行けるだろうか。
ともかく、コロナが、収束しないと何も始まらないが、ゼロコロナのような風潮の中で、政治が逃げ回らずに、大局的な判断から、リーダーシップをきちんと発揮してもらいたいと切に思う。政治の劣化は、国民の劣化の表れではないかと思うと、残念であるが、それを跳ね返すべく、地域から、建て直していくのが、私の仕事なのだろう。がんばるぞ!
第1回目を見ると。2005年の8月22日になっている。このときの思いというか、決意は全く覚えていない。以前も書いたことがあるが、横浜市にいたときから、HPをつくっていて、いくつかの記事を書いていた。
とても内容の濃い、記事だったように思う。なぜならば、誤って消去してしまい、いろいろさがしてもらったが、もはや見つからないからである。逃がした魚は大きい。
本格的にブログを始めたのは、大阪国際大学を辞めて、1年間の無職期間があり、その間、いわば連絡先として、ブログを書き始めた。
直近の5000日から6000日までは、本当にあっという間だった。時に、コロナが流行った後半は、時間がたつのがとても速い。年を取ったせいもあるかもしれない。
この間、いろいろなことがあった。一番は、今ちゃんが死んでしまったことである。今ちゃんは、私のゼミではなかったが、1年生の時から、一緒に合宿に行ったりした。一緒に本も書いた。卒業してからも、お菓子をもって、しばしば研究室に来てくれた。もうすぐ、亡くなって2年になる。
コロナになってから、連れ合いと二人で旅行に行くことがなくなった。連れ合いは、コロナをとても心配するので、私の行動も自制することになる。義理を欠くこともしばしばである。しかし、心配をさせるわけにはいかないので、あえて義理を欠いている。
このブログは、最初は、研究の為であった。むろん、今でも研究が主力で、時々、思い出したように新たな関心テーマの論考を書いている。これが新しい本の元になる。最近出した『自治するまちのつくり方』や『選挙はまちづくり』は、このブログが素材になっている。
途中から、私が死んだあと、残った連れ合いが、読むようにと、二人の旅の記録やマロンのことを書くようになった。連れ合いは、ラインやネットをよくやるが、このブログにはまだ、行きついていない。「松下啓一」で検索したことがないのだろう。
私が死んだときには、見つけて読むのではないかと期待しているが、それでも「読まないんじゃない」という意見もあり、最後のゼミ生のももちゃんに頼んでおいた。ももちゃんなら、忘れず、「センセイのブログありますよ」といってくれるだろう。
このブログから次に生まれる本は、『若者参画政策』(第一法規)である。2月末が校了なので、やや余裕で、楽しみながら書いていたが、気がついたら残り30日強となった。1月中に大まか書き終えて、修正に時間をかける計画であったが、油断した。『一緒にやる協働』の本も、そのうち、声がかかるだろう。ただ今声がかかると、ダブルになるので、あと2か月くらいは、そっとしておきたい。
その後では、『初めての条例づくり』も、このブログを基に、本が書けるだろう。政策法務は、類書がたくさんあるので、なかなか書く気にならないが、書き出せば、オリジナリティあふれるものになるだろう。
ひそかに考えているのが、『オルソン問題』で、ブックレットのような形で出せるメドがついたら、書き始めよう。『若者参画政策』が足踏みしたのは、こちらに走ったせいである。
今年は、二人で旅に行けるだろうか。
ともかく、コロナが、収束しないと何も始まらないが、ゼロコロナのような風潮の中で、政治が逃げ回らずに、大局的な判断から、リーダーシップをきちんと発揮してもらいたいと切に思う。政治の劣化は、国民の劣化の表れではないかと思うと、残念であるが、それを跳ね返すべく、地域から、建て直していくのが、私の仕事なのだろう。がんばるぞ!
三日坊ザーとしては、松下先生の継続する力、尊敬を超えて神様に思えます。
まだまだ物語は続きますね。
楽しみにしています。