松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆地方政府論の功罪(三浦半島)

2014-01-04 | 1.研究活動
 
 お正月なので、時間があり、「国と地方の違い」を考える余裕がある。

 自治体を地方政府と位置付ける地方政府論は、自治体の自立性を端的に表現して分かりやすい。反面、政府だから、国の考え方や仕組みを持って来ればよいという単純な議論にもなりやすい。国と地方の違いをいっしょくたに議論するから議論が混乱してしまい、政策をミスリードすることになってしまう。

 国と地方では、何よりも対峙すべき相手が違う。国の場合は、主権国家を前提とする限り、対峙する相手方は、他の国である。主権を守るために、交戦権があるという議論になる。
 しかし、これでは戦争を誘発するばかりだから、いっそ、ひとつの国にして、戦争を止めようという試みがEUである。何度も手ひどい戦争をやって、本当に懲りているからだろう。
 翻って、日本では鳩山さんが首相の時に、東アジア共同体という議論もあったが、ちっとも具体化しなかった。おそらく日本も含めて東アジアの国々は、そこまで戦争で懲りていないということだろう。

 これに対して、地方自治で対峙すべき相手は、災害や犯罪、環境の悪化、老いや病気などである。ここでは侵略する外国も、懸案の領土問題も出てこない。

 対峙すべき相手が違うということは、守る方法が違ってくるということである。
 国家の場合は、力の争いになるから、より有効な暴力装置を持とうということになってくる。その国家権力を規制するために憲法がつくられ、法律で縛りをかける。立憲主義である。社会は規制力によって維持されることになる。
 国同士では、それが軍備競争に走る。追い詰められてくると、より効果的な暴力装置ということで核になる。実際、北朝鮮では、核を持った。

 他方、地方の場合は、警察等の強制力もある程度は必要であるが、それだけでは、老いや病気、環境の悪化から地域や市民の暮らしを守れない。市民の自覚や自主努力、相互の協力、連携が、有効な手段になる。条例も、規制力だけではだめで、協働的な要素が重要になる。

 私たちの強みは、高い市民性である。市民の自主性や地域の連携は、他の国ではまねができないことである。この強みを大いに活かさないともったいないと思う。
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