(2010年2月7日)
最後の最後、市長答申となった。谷市長さんに答申を渡し、メンバーの一人ひとりに感想を言ってもらった。それぞれが、自分の言葉で、思い思いのことを話してくれた。特によかったのは、最長老のUさんで、Uさんは、この審議会は「透き通った」議論、進め方であったといってくれた。透明性・公開性というとありきたりであるが、「透き通った」という表現に、素直な感動が表現されていると思う。たくさんの肩書きを持ち、多くの会議でとりまとめを頼まれるUさんならではの思いを表現したのだと思う。
会議が終わっても、多くの人がすぐには帰らず、あちこちで会議の余韻を楽しんでいたのもうれしかった。取りまとめは大変であったけれど、参加してよかったと思う。
火曜日から福井なので、この日は、一宮に泊まることにした。考えてみると、何度も来ているが、どこにも行ったことがない。チュックイン後、一宮の由来となる神社を尋ね、アーケード街を歩いた。アーケード街をちょっと入ったコーヒー店でコーヒーを飲み、前から、行ってみようと考えていた川魚料理の「なまずや」に行き、関東風とは違ううなぎを食べた。しばらくは一宮には来ることがないと思うと、少しさびしい気がした(コーヒーやさんで、「一宮モーニング」という言葉を知り、店の人と大いに論じた。新城でも体験した東海地方の喫茶文化であるが、まったくすごいことが起こっている・・・)
(2010年1月24日)
第10回の検討委員会となった。尾張一宮は今日も快晴。気持ちのよい天気だった。
今回が事実上、最後の会議なので、全文を読み上げて、全員で確認した。いつもは、全員に発言してもらうが、今回はそれができなかった。妙に馬が合う長老のUさんが、最後にまとめてくれて、穏やかな終回となった。後は、市長への提出、懇談で本当の最終回となる。
終了後、市役所広報担当のMさんから、取材を受けた。広報3月号の特集にするとのこと。そういえば、何回か、傍聴にきていた。記事を書くために、日曜日であるのに、何度も取材がてらに傍聴に来る熱心さはすごいと思う。当然、それがインタビューの的確さに反映していて、自分自身の整理にもなった。
帰りがけ、いつも駅まで送ってくれる事務局のKさんが、「市役所生活のなかで、こうした条例づくりにかかわることができたのは、幸運だった」といっていた。たしかに役所生活の中で、こうした条例づくりの立ち上げから制定までに係わることはそうはない。条例づくりのような大変な仕事を担当するのを運が悪いと感じるか、ラッキーと感じるかは、気の持ちようで、前向きに受け取るか、後ろ向きに受け取るかで、違ったものになってしまうのだろう。限られた人生の中で、出会ったことをチャンスにする気持ちが、実は、自治ということではないだろうか。
取材(写真)があることを事前に知っていたら、洋服の青山に出かけ、奮発したのにと、少し悔やまれた。
(2010年1月11日)
あっという間に、第9回の検討委員会になった。ほぼ答申案が出来上がり、議論すべき点もだいぶ絞られてきた。そんなことで、予定外の1時間半で終了した。
最も論議になったのは、「市民自治」という言葉を入れるかどうか。いくつか議論したうえで、「この条例案全体が、市民自治でできている。そういうつもりで、ずっと議論してきた」という意見。その意見を受けて、「それはそのとおりで、ただ、この会に出ていない人にとっては、それがわかりにくいだろうから、分かるように解説に入れたら」といった意見が出て、結局、前文の解説の中で、書くことになった。委員会の運営は、骨が折れるが、こうした前向きな議論がでると、やってよかったと思う。市役所が書いたシナリオを読む会議は、もう止めにする時代に入ってきたということだろう。
終了後、事務局の人たちと会食。「最小の費用で最大の効果」を出す仕事の仕方から、地雷を踏んで左遷された話まで、体験談を大いに語った。私ばかり喋りすぎたようだ。
(2009年11月8日)
今日で第6回の検討委員会となった。会場は、エコ138という余熱利用施設。ハワイのような暖かさである。コミュニティバスにも乗りなれ、今日は右回りで会場に行った。
検討のほうは、今日で一巡目が終わり。次は清書した条文を見ての検討になる。改めて出来上がった条文案を見ると、記述の過不足やバランスの悪さが気になることだろう。大いに議論して、更なるブラッシュアップを期待したい。
それにしても、担当のKさんたちが、心配顔で大阪国際大学に来てから、どのくらいの日時がたったのだろうか。横浜・名古屋の新幹線は、乗っている時間としては程よく、今回も行き帰りとも爆睡。
(2009年9月26日)
第4回の検討委員会に参加した。今回は、時間配分を誤り、昼食はモスバーガーを会場で食べる羽目になった。次回は計画をきちんと立てよう。
会議のほうは、今回も白熱。それぞれの思いをかなり発言できたのではないか。私には、議論なく、粛々と進むという運営はできないので、いつも、どこでも、にぎやかな議論となる。今回も、メンバーの協力宜しきをえて、一定のまとまりとなった。
夕食は、名古屋の矢場とんに寄って、みそかつを食べた。新幹線では爆睡。目覚めたとき、ときどき、どこにいるのか分からなくなる。一瞬、湘南台についたのかかと思った。尾張一宮は、思いのほか近い。
(2009年8月29日)
検討委員会も第3回目になった。メンバーは市民会議の人のほか、町内の人、地区代表の人、公募市民の方、議員さん、行政の副市長さん、部長さんと多様である。私のいつもの運営であるが、この会議でもにぎやかで、活発な検討会となっている。全員が発言し、委員同士でやりやうことになる(私は、決まりきったことを粛々とこなす委員会運営はできない)。
大事なことは、半歩か一歩、先を行く結論を出すことである。理想論も大事であるが、それを使いこなせなければ失望に変わる。他方、現実論だけでは論じる意味が乏しい。理想をどう現実化するか、理想に近づけるための知恵を出し合うのが、みんなが集まる意義だと思っている。自治とは、机上のことではなく、日々の暮らしを少しずつよくすることだからである。
一宮との関わりは、担当のKさんたちが、大阪国際大学の研究室を訪ねてきたときからのご縁である。それなりの決意を固めてもらうために、厳しいことを言ったが、そのときの不安そうな顔が忘れられない(今はすっかり余裕がでている。市民委員会をやり遂げたという自信が裏づけになっているのだろう)。
バスで会場に向かうとき、おいしそうな店構えの川魚料理店を見つけた。いつも時間がなく、たいていは名古屋駅ホームの立ち食いそば(なじみは東海道線のホーム。まさかおばちゃんは私の顔を覚えてしまっただろうか。)、きわめてまれに名古屋駅の味噌カツ(エスカ地下街の矢場とん)、もっとまれに一宮駅構内の食堂(バス停そば)であるが、今度こそ、ゆっくり行ってみよう。絶対に行ってみよう。
(第1回)
一宮市の条例づくりは、二段ロケット方式である。まず、市民が提言を作り、それを基に、各界で構成されるメンバーが条例素案を作るというものである。担当のKさんとの関係で、今回、その検討委員会の座長をやることになった。
尾張一宮へは、横須賀の自宅から、ドアtoドアで3時間、新幹線も名古屋までなのでちょうど良い距離である(車内でテレビに出ている人を見かけた)。一宮の特徴は、議員さんが入っていることで、まれなケースだと思う。議員さんも、活発に質問していて、これから面白い議論になりそうである。
昨日の、つくば市の研修でも感じたが、委員会の委員さんの集め方というのは、地域によって違うのではないかと思うようになってきた。具体的には、やりたいという市民(市民会議方式)に加え、地域の特性を踏まえた各界代表方式(つくばでは、研究都市の奥さんを入れたら良いという意見が面白かった)、無作為抽出のプラーヌンクスツエレを組み合わせる方式などである。一宮の二段ロケット方式は、これを時間差で取り入れたものといえよう。
こうしたさまざまな取り組みを見ると、従前の審議会をつくって(そこに一部の公募市民を入れて)検討する方式は、なんと古臭く感じることだろう。
最後の最後、市長答申となった。谷市長さんに答申を渡し、メンバーの一人ひとりに感想を言ってもらった。それぞれが、自分の言葉で、思い思いのことを話してくれた。特によかったのは、最長老のUさんで、Uさんは、この審議会は「透き通った」議論、進め方であったといってくれた。透明性・公開性というとありきたりであるが、「透き通った」という表現に、素直な感動が表現されていると思う。たくさんの肩書きを持ち、多くの会議でとりまとめを頼まれるUさんならではの思いを表現したのだと思う。
会議が終わっても、多くの人がすぐには帰らず、あちこちで会議の余韻を楽しんでいたのもうれしかった。取りまとめは大変であったけれど、参加してよかったと思う。
火曜日から福井なので、この日は、一宮に泊まることにした。考えてみると、何度も来ているが、どこにも行ったことがない。チュックイン後、一宮の由来となる神社を尋ね、アーケード街を歩いた。アーケード街をちょっと入ったコーヒー店でコーヒーを飲み、前から、行ってみようと考えていた川魚料理の「なまずや」に行き、関東風とは違ううなぎを食べた。しばらくは一宮には来ることがないと思うと、少しさびしい気がした(コーヒーやさんで、「一宮モーニング」という言葉を知り、店の人と大いに論じた。新城でも体験した東海地方の喫茶文化であるが、まったくすごいことが起こっている・・・)
(2010年1月24日)
第10回の検討委員会となった。尾張一宮は今日も快晴。気持ちのよい天気だった。
今回が事実上、最後の会議なので、全文を読み上げて、全員で確認した。いつもは、全員に発言してもらうが、今回はそれができなかった。妙に馬が合う長老のUさんが、最後にまとめてくれて、穏やかな終回となった。後は、市長への提出、懇談で本当の最終回となる。
終了後、市役所広報担当のMさんから、取材を受けた。広報3月号の特集にするとのこと。そういえば、何回か、傍聴にきていた。記事を書くために、日曜日であるのに、何度も取材がてらに傍聴に来る熱心さはすごいと思う。当然、それがインタビューの的確さに反映していて、自分自身の整理にもなった。
帰りがけ、いつも駅まで送ってくれる事務局のKさんが、「市役所生活のなかで、こうした条例づくりにかかわることができたのは、幸運だった」といっていた。たしかに役所生活の中で、こうした条例づくりの立ち上げから制定までに係わることはそうはない。条例づくりのような大変な仕事を担当するのを運が悪いと感じるか、ラッキーと感じるかは、気の持ちようで、前向きに受け取るか、後ろ向きに受け取るかで、違ったものになってしまうのだろう。限られた人生の中で、出会ったことをチャンスにする気持ちが、実は、自治ということではないだろうか。
取材(写真)があることを事前に知っていたら、洋服の青山に出かけ、奮発したのにと、少し悔やまれた。
(2010年1月11日)
あっという間に、第9回の検討委員会になった。ほぼ答申案が出来上がり、議論すべき点もだいぶ絞られてきた。そんなことで、予定外の1時間半で終了した。
最も論議になったのは、「市民自治」という言葉を入れるかどうか。いくつか議論したうえで、「この条例案全体が、市民自治でできている。そういうつもりで、ずっと議論してきた」という意見。その意見を受けて、「それはそのとおりで、ただ、この会に出ていない人にとっては、それがわかりにくいだろうから、分かるように解説に入れたら」といった意見が出て、結局、前文の解説の中で、書くことになった。委員会の運営は、骨が折れるが、こうした前向きな議論がでると、やってよかったと思う。市役所が書いたシナリオを読む会議は、もう止めにする時代に入ってきたということだろう。
終了後、事務局の人たちと会食。「最小の費用で最大の効果」を出す仕事の仕方から、地雷を踏んで左遷された話まで、体験談を大いに語った。私ばかり喋りすぎたようだ。
(2009年11月8日)
今日で第6回の検討委員会となった。会場は、エコ138という余熱利用施設。ハワイのような暖かさである。コミュニティバスにも乗りなれ、今日は右回りで会場に行った。
検討のほうは、今日で一巡目が終わり。次は清書した条文を見ての検討になる。改めて出来上がった条文案を見ると、記述の過不足やバランスの悪さが気になることだろう。大いに議論して、更なるブラッシュアップを期待したい。
それにしても、担当のKさんたちが、心配顔で大阪国際大学に来てから、どのくらいの日時がたったのだろうか。横浜・名古屋の新幹線は、乗っている時間としては程よく、今回も行き帰りとも爆睡。
(2009年9月26日)
第4回の検討委員会に参加した。今回は、時間配分を誤り、昼食はモスバーガーを会場で食べる羽目になった。次回は計画をきちんと立てよう。
会議のほうは、今回も白熱。それぞれの思いをかなり発言できたのではないか。私には、議論なく、粛々と進むという運営はできないので、いつも、どこでも、にぎやかな議論となる。今回も、メンバーの協力宜しきをえて、一定のまとまりとなった。
夕食は、名古屋の矢場とんに寄って、みそかつを食べた。新幹線では爆睡。目覚めたとき、ときどき、どこにいるのか分からなくなる。一瞬、湘南台についたのかかと思った。尾張一宮は、思いのほか近い。
(2009年8月29日)
検討委員会も第3回目になった。メンバーは市民会議の人のほか、町内の人、地区代表の人、公募市民の方、議員さん、行政の副市長さん、部長さんと多様である。私のいつもの運営であるが、この会議でもにぎやかで、活発な検討会となっている。全員が発言し、委員同士でやりやうことになる(私は、決まりきったことを粛々とこなす委員会運営はできない)。
大事なことは、半歩か一歩、先を行く結論を出すことである。理想論も大事であるが、それを使いこなせなければ失望に変わる。他方、現実論だけでは論じる意味が乏しい。理想をどう現実化するか、理想に近づけるための知恵を出し合うのが、みんなが集まる意義だと思っている。自治とは、机上のことではなく、日々の暮らしを少しずつよくすることだからである。
一宮との関わりは、担当のKさんたちが、大阪国際大学の研究室を訪ねてきたときからのご縁である。それなりの決意を固めてもらうために、厳しいことを言ったが、そのときの不安そうな顔が忘れられない(今はすっかり余裕がでている。市民委員会をやり遂げたという自信が裏づけになっているのだろう)。
バスで会場に向かうとき、おいしそうな店構えの川魚料理店を見つけた。いつも時間がなく、たいていは名古屋駅ホームの立ち食いそば(なじみは東海道線のホーム。まさかおばちゃんは私の顔を覚えてしまっただろうか。)、きわめてまれに名古屋駅の味噌カツ(エスカ地下街の矢場とん)、もっとまれに一宮駅構内の食堂(バス停そば)であるが、今度こそ、ゆっくり行ってみよう。絶対に行ってみよう。
(第1回)
一宮市の条例づくりは、二段ロケット方式である。まず、市民が提言を作り、それを基に、各界で構成されるメンバーが条例素案を作るというものである。担当のKさんとの関係で、今回、その検討委員会の座長をやることになった。
尾張一宮へは、横須賀の自宅から、ドアtoドアで3時間、新幹線も名古屋までなのでちょうど良い距離である(車内でテレビに出ている人を見かけた)。一宮の特徴は、議員さんが入っていることで、まれなケースだと思う。議員さんも、活発に質問していて、これから面白い議論になりそうである。
昨日の、つくば市の研修でも感じたが、委員会の委員さんの集め方というのは、地域によって違うのではないかと思うようになってきた。具体的には、やりたいという市民(市民会議方式)に加え、地域の特性を踏まえた各界代表方式(つくばでは、研究都市の奥さんを入れたら良いという意見が面白かった)、無作為抽出のプラーヌンクスツエレを組み合わせる方式などである。一宮の二段ロケット方式は、これを時間差で取り入れたものといえよう。
こうしたさまざまな取り組みを見ると、従前の審議会をつくって(そこに一部の公募市民を入れて)検討する方式は、なんと古臭く感じることだろう。
本日市議会議員選挙の投票日のため
情報収集をしておりました
新自由主義にわが町が乗っ取られ
市民と言う議会制民主主義に敵対する勢力が第一の世論として取り上げられるのですね
平日の昼間に会議に出られるのは一般市民でしょうか?
市民とは住民の事でしょうね
国民と違って日本国籍が無くても参加できる訳です。
日本国民の権利をないがしろにして国益に反する危険な条例です
これは南オセチアであったように
国を細かく分断して市が国に叛旗を翻し
いずれは中国の一部として吸収、併合する前段階なのですね
米国が崩壊し、中国のバブルが崩壊し
日本が金融危機が迫っている今
自分が選挙で何をしたら良いのか
今 考え直します
自治基本条例が目指すのは、市民の自律(責任を持つ)と他者のことに思いをはせる社会をつくることです。考え方は違っても、大いに論じ、大いに聴き合うことで、つくっていこうではありませんか。