松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆研修を受けること

2012-07-09 | 1.研究活動
 大学教員になって、なくなったのが研修の受講である。市役所に勤めていたことは、ほぼ毎年のように、何らかの研修を受講していた。後半は、市町村アカデミーなどに頼まれて研修をすることもあったので、いわば同業者的な観点から、研修をみることができた。
 たくさんの研修を受けてきたが、印象的なのは次ぎの2つの研修である。
 ひとつは、政策形成の研修である。会社名は忘れてしまったが、それを仕事としている研修機関による研修だった。講師の先生は50代から60代のやや疲れ気味の人だった。補助の女性もついていたように思う。2日間の研修であったが、内容的には、政策論とはいっても、自治体の政策現場から、やや離れたようなものだった。その頃は、まだ政策現場の自治体職員が、政策の本を書くようなことがなかったので、大学の先生が書いた政策論を焼き直して、その会社がつくったテキストだったのだろう。アメリカの政策理論は勉強にはなったが、仕事の参考にはならないなあと思ったことを覚えている。
 この研修で、印象的だったのは、内容ではなく、研修の手法である。休憩時間が終わって、先生が教室に入ってくるとき、先生は、元気よく腕を振って、走りながら入って来るのである。運動靴のようなものを履いていた。その会社の方針なのだろうと思ったが、この年齢では、きついなあと、へんな同情したことを覚えている。いまになって、ときどき、その研修の様子を思い出すのは、私がその先生と同じ年頃になったためだろうか。その先生は、もうとっくにリタイアしているだろうが、妙に懐かしく、思い出される。
 もうひとつは、オフサイト研修といって3日間の泊まり込み研修である。有名な先生のようで、何人もの講師を抱える研修会社を経営しているようだった。この研修では、20人くらいが一緒だったと思うが、三浦半島のマホロバマインズに泊まって、話し合いを行った。ただ、このうち、2日間が各自の自己紹介で、オフサイトというよりも、手抜き研修だなというのが、率直な感想だった。
 本来ならば、自己を解き放って、新たなものを自ら生み出すのが狙いなのだろうが、理論を実践する手法が十分、開発されていないのか、あるいは、高度すぎて、私がうまく消化できなかったのか、ともかく、これで高い(?)受託料を取るのだろうかと研修所に同情したことを覚えている。
 たくさんの研修を頼まれると、安きに流れるのは、人に常だろう。それは他人事ではない。それが生業ではない私の場合、何のために研修をやるのかという原点に戻ることができるし、常に戻りながら研修をすべきなのだろう。
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