同窓会があった。還暦の同窓会である。当時のクラスは、50人ほどいたと思うが、今回の参加者は10名ほど。さまざまな理由があり、こうした数になったのだろう。
一番会いたかったのはKさん。私にとっては、遠い憧れの人ということもあるが、実は、連れ合いの中学の同級生でもある。10年前に同窓会があったときには、Kさんには、このこと言わずにおいたが、私たちだけが知っているというのもへんだと考え、今回、言うことにした。不思議な縁だと思う。高校時代のKさんは、どちらかというと、ツンとした利発な美人であったが、今は、ここやかに笑う、穏やかな美人に変わっていた。幸せな暮らしぶりが窺え、とてもうれしくなった。
恩師のM先生も健在であった。高校を卒業した後の数年間、年賀状のやり取りをしていたが、それは手紙の年賀状で、さまざまな思想や思いが語られる年賀状だった。私も負けずに長い年賀状を書いた。その縁が切れてしまったのは、どんな理由なのかは定かでないが、ずっと忘れていた青春の時代を思い出すことができた。
そのほか、ぜひとも会いたい人もいたが、みんなふけて、誰が誰だか、わからなくなっており、結局、クラスのメンバーを中心に、思い出を語ることになった。
次は、5年後だという。まずは、さらに、地域のためになるいい仕事をしようと思う。そして元気で、同窓会に参加しようと思う。
一番会いたかったのはKさん。私にとっては、遠い憧れの人ということもあるが、実は、連れ合いの中学の同級生でもある。10年前に同窓会があったときには、Kさんには、このこと言わずにおいたが、私たちだけが知っているというのもへんだと考え、今回、言うことにした。不思議な縁だと思う。高校時代のKさんは、どちらかというと、ツンとした利発な美人であったが、今は、ここやかに笑う、穏やかな美人に変わっていた。幸せな暮らしぶりが窺え、とてもうれしくなった。
恩師のM先生も健在であった。高校を卒業した後の数年間、年賀状のやり取りをしていたが、それは手紙の年賀状で、さまざまな思想や思いが語られる年賀状だった。私も負けずに長い年賀状を書いた。その縁が切れてしまったのは、どんな理由なのかは定かでないが、ずっと忘れていた青春の時代を思い出すことができた。
そのほか、ぜひとも会いたい人もいたが、みんなふけて、誰が誰だか、わからなくなっており、結局、クラスのメンバーを中心に、思い出を語ることになった。
次は、5年後だという。まずは、さらに、地域のためになるいい仕事をしようと思う。そして元気で、同窓会に参加しようと思う。