今回の政治学は、「アジアと仲良くできますか」の第1回である。日本人が、アジアの人たちに持っている、ある種、「上からみる感情」を解きほぐすことが主眼である。
アジアとは何かから始めたので、壮大な授業となってしまった。アジアは、ヨーロッパから見て、その東側というのが語源で、ヨーロッパを除くユーラシア大陸全体をいう。例えば、サッカーのアジア予選出ではシリアと戦うが、ここでもわかるように、シリアもアジアである。同じアジアと言っても、気候も宗教も違うが、これをアジアというひとつの概念で束ねることが難しい。
私たちにとって、身近なアジアは、東アジア、東南アジアである。外国人登録数を見ると、中国人やフィリピン人の増加率は、圧倒的である。今後も、ますます増加するするだろう。同じアジアでも、シリア難民が、日本に大挙してやってくることは考えにくいが、例えば、北朝鮮が崩壊した場合、何十万単位の難民が、日本の親戚を頼って、日本にやってくることになる。フツウの国を目指す日本は、これを拒否することはできないので、どのように受け入れるのかが問われることになる。まさに、アジアと仲良くできますかが、現実的に問われることになる。
アジアを巡っては、日本はアジアではないという考え方(明治維新t後の森有礼の国語廃止論、英語国語論などを紹介)と、日本はアジアであるがアジアの盟主であるという、一見すると対立する考え方が、実は、同じところでつながっているという問題提起で時間となってしまった。次は、アジア主義の基本にさかのぼって、アジアと仲良くできますかという現実的な難問を考えてみようと思う。
受講生の大半は1年生で、大学で学ぶ政治学という学問は、これまでの常識を覆す問題提起をするので、おもしろいと感じる学生も多いようだ。実は、話している私のほうも、面白い。