ゼミ生の今野照美さんが亡くなった。今野さんは、私にとっては、今ちゃんである。
昨日、同じゼミ生のIさんから、ラインをもらった。今ちゃんの携帯にロックがかかっていて、連絡先が分からず、お母さんから、今ちゃんの友人のIさんに連絡があり、「松下先生には、とてもお世話になった」との伝言があったということで、私にラインが来た。
非常事態宣言中であるので、動きも取れず、また電話をしようと思ったが、家の電話番号はわからないので、手紙を書こうと思ったが、とてもまとまらず、結局、昨日は一日、難しい論文を読んで、ごまかすことにした。
手紙にきちんとまとめようと思うが、たくさんの思い出がある。
今ちゃんは、社マネの一期生である。私にとって、はじめてのサガジョであり、学生たちと何かをやろうと考えて、私の授業をとっている受講生に一緒に共同研究をやろうと持ちかけた。メンバーには、栄養学部の学生も入っていたから、ボランティア論かもしれない。
そのメンバーで全国調査をやり、それをまとめたが、その分析のために、一緒に箱根へ研究合宿にも行った。カラオケもやったと思う。その成果が、今ちゃんも名を連ねている『つくろう議員提案の政策条例』(萌書房)である。今ちゃんは、これまで付き合ったサガジョの学生のうち、一番勉強ができたので、この方法が、本人が一番、力を発揮することだと考えた。ちなみに、今ちゃんは、当然、卒業式では、総代だった。
まちづくりも、一緒に行った。上田市の鈴木さんのプロジェクトで、上田にも行った。鈴木さんの車で、軽井沢にも足を延ばした。軽井沢教会で撮った写真が残っている。
ただ、3年生になって、私のゼミに入るのかと思ったら、経営関係のゼミに入った。理由は聞いていないが、別のことがやってみたかったのかもしれない。しかし、私の研究室には、変わらず、やってきた。
そのうち、怖い病気になった。ゼミ生でなかったので、そのあたりのいきさつは、よく知らず、聞いて驚いた。
実質、私のゼミ生だったと思う。だから、卒業してからも、時々、私の研究室を訪ねてきてくれた。NPOで仕事をしていたが、これもまちづくりの体験の反映だろう。持ってきてくれたお菓子を食べながら、昔話も含めて、いろいろな話をした。
私も、厚木市役所に委員会の仕事に行ったとき、お昼、今ちゃんと待ち合わせて、本厚木のミロードのハンバーグ屋さんでハンバーグを食べた。今ちゃんは、いつも、オムライスのハンバーグを食べていた。数日前、今年も、緊急事態宣言が解除になって委員会が始まったら、久しぶりに、一緒にハンバーグを食べようと、考えていた矢先だった。
18歳で、全国調査をやって、本の執筆をするのは、大変だったと思うが、この前、ハンバーグを食べながら、「あれがなかったら、大学生活で、語るものが何もなかった」といっていた。
厳しい病気を抱え、今ちゃん本人は、怖かったと思う。にもかかわらず、穏やかに話をする今ちゃんを見て、私の方が元気づけられた。その今ちゃんが亡くなり、お父さん、お母さんの悲しみは、いくばかりであろうか。本当に悔しい。
今ちゃんの記事が見つかった。三浦半島に来てくれるはずであったが、叶わなかった。
昨日、同じゼミ生のIさんから、ラインをもらった。今ちゃんの携帯にロックがかかっていて、連絡先が分からず、お母さんから、今ちゃんの友人のIさんに連絡があり、「松下先生には、とてもお世話になった」との伝言があったということで、私にラインが来た。
非常事態宣言中であるので、動きも取れず、また電話をしようと思ったが、家の電話番号はわからないので、手紙を書こうと思ったが、とてもまとまらず、結局、昨日は一日、難しい論文を読んで、ごまかすことにした。
手紙にきちんとまとめようと思うが、たくさんの思い出がある。
今ちゃんは、社マネの一期生である。私にとって、はじめてのサガジョであり、学生たちと何かをやろうと考えて、私の授業をとっている受講生に一緒に共同研究をやろうと持ちかけた。メンバーには、栄養学部の学生も入っていたから、ボランティア論かもしれない。
そのメンバーで全国調査をやり、それをまとめたが、その分析のために、一緒に箱根へ研究合宿にも行った。カラオケもやったと思う。その成果が、今ちゃんも名を連ねている『つくろう議員提案の政策条例』(萌書房)である。今ちゃんは、これまで付き合ったサガジョの学生のうち、一番勉強ができたので、この方法が、本人が一番、力を発揮することだと考えた。ちなみに、今ちゃんは、当然、卒業式では、総代だった。
まちづくりも、一緒に行った。上田市の鈴木さんのプロジェクトで、上田にも行った。鈴木さんの車で、軽井沢にも足を延ばした。軽井沢教会で撮った写真が残っている。
ただ、3年生になって、私のゼミに入るのかと思ったら、経営関係のゼミに入った。理由は聞いていないが、別のことがやってみたかったのかもしれない。しかし、私の研究室には、変わらず、やってきた。
そのうち、怖い病気になった。ゼミ生でなかったので、そのあたりのいきさつは、よく知らず、聞いて驚いた。
実質、私のゼミ生だったと思う。だから、卒業してからも、時々、私の研究室を訪ねてきてくれた。NPOで仕事をしていたが、これもまちづくりの体験の反映だろう。持ってきてくれたお菓子を食べながら、昔話も含めて、いろいろな話をした。
私も、厚木市役所に委員会の仕事に行ったとき、お昼、今ちゃんと待ち合わせて、本厚木のミロードのハンバーグ屋さんでハンバーグを食べた。今ちゃんは、いつも、オムライスのハンバーグを食べていた。数日前、今年も、緊急事態宣言が解除になって委員会が始まったら、久しぶりに、一緒にハンバーグを食べようと、考えていた矢先だった。
18歳で、全国調査をやって、本の執筆をするのは、大変だったと思うが、この前、ハンバーグを食べながら、「あれがなかったら、大学生活で、語るものが何もなかった」といっていた。
厳しい病気を抱え、今ちゃん本人は、怖かったと思う。にもかかわらず、穏やかに話をする今ちゃんを見て、私の方が元気づけられた。その今ちゃんが亡くなり、お父さん、お母さんの悲しみは、いくばかりであろうか。本当に悔しい。
今ちゃんの記事が見つかった。三浦半島に来てくれるはずであったが、叶わなかった。
共同研究やゼミ(途中で別ゼミに移りましたが)でお世話になりました、Sです。
なぜか、急に母校の事が気になって、HPを覗いてみると、松下先生を始め、私が在学中、特にお世話になった先生方の名前はなく、退職されたのかな?と思い、先生のブログに辿り着いて、この度の訃報を知りました。
今野さんは共同研究で一緒でしたし、講義でもよく顔を合わせていたことを思い出します。
他に術がないため、ここにコメントさせていただきました。
ご冥福をお祈り致します。
昨日、お母さんから、電話をいただき、いろいろお話をしました。
今ちゃんのことを、忘れないでくださいと、おっしゃていました。
ときどき、思い出してくれることが、これから私たちにできることですね。
昔のことは、もうひとつのブログ、「ゼミ室から」にあるかもしれません(だいぶ前に、更新をやめてこちらに一本化しましたが)。
Sさんも、元気で、がんばってくださいね。
今野さんの幼い頃からの友人です。
もう長い間会っていなかったのですが、1週間程前に何故か急に照ちゃんのことが気になって仕方なくなってしまい、ここに辿り着き亡くなってしまったことを知りました。
大学関係者ではない私がここにコメントするのは失礼かもしれません……ただ一言だけお許しください。
ご冥福をお祈りします。
お母さんのお話では、本当に思いかげず、突然のことだったとのことです。
メールを送ると、すぐに返ってくるので、いまでも、メールを出せば、すぐ返ってくるような気がします。
私は、今ちゃんが、18歳の時からの付き合いですが、いろいろ、思い出ができました。
ときどき、思い出してあげてくださいね。