連休中に友人から誘いを受けた。
書店へ行き、平積みになっていた本
『友だちいないと不安だ症候群につける薬(齋藤孝 氏)』の、
”不安”部分を指差し、「今、こんな感じ」と告げた。
「あ、これ?きっと私だってそうだと思うよ。この前読んだ。」
昔からの友人同士の会話で「友だちいないと不安だ症候群」だと
お互いに言い合っているというのも滑稽な話だ。
彼女と私は高校時代の同級生であるが、
途中から次第に時間を譲り合えなくなっていき、
年賀状のみの付き合いが長く続いた。
しばらくの間お互いに、生活パターンの合う友人と行動していたが、
ようやく予定も合わせ易くなり、昨年からまた時々会うようになった。
彼女は子供に手がかからなくなったと同時に、
その、子供を中心に付き合いをしていた「友人」との間も
少しずつ離れてきたようだ。
そうして毎日接してきた人と頻繁には会わなくなった今、周りを見渡せば、
自分には友人と呼べる相手が少ないのだと思ったそうだ。
いろいろな話をしたが、疲れている様子だった。
職場の人の、SMAPのコンサートでリフレッシュしてきた話を例に、
「やっぱり、元気なんだよね。元気をもらってきたって言うか。
そういうのを見ると行きたいなーと思う」という。
「ライブはいいよね。近くの会館・ホールで予定を調べてチケット取って、
そういう刺激を受けたらいいじゃない?」と言ってみるが、
「調べるのがめんどうなんだよね」との返事。
最近物忘れが多くなって、子供にお小遣いをやったかどうかも
忘れていたそうだ。
「メモしておいたら?」「そういうの、だめなんだよね」
それでも久しぶりに楽しい話もして、またこうした時間を共有できるように
なったことをうれしく思った。
別れ際に彼女が、「今日は、まだ言いたいことがあるような気がする」と言った。
何となく気になり、彼女が改札を入ってもしばらく見送っていた。
その後姿を見ていたら、とても心配になってきた。
帰宅後、話し足りないことがあるようなら言ってもらおうと思い、メールをしたが、
全て消化したようなさっぱりした内容が返信されてきたので、
はぐらかされたような感じがした。
それから数日、彼女のことについてはすっきりしないまま過ぎた。
そして月曜日のTV番組を観ていたら、小山明子さんがご主人である大島渚監督の
介護体験と苦しかった日々について本に書いたということを放送していた。
数日前の出来事のところどころが、まるでパズルのピースのように脳裏を飛び交い、
「あっ!」と思った。
(次回へ続きます)