”運がいい人”と”なかなか芽が出ない人”の境目

2014-02-13 10:50:53 | 幸せのコツ
■ チャンスの女神に前髪はあっても後ろ髪はない
私はよく”ものすごい強運の人”みたいに人からよく評価されます。
が、一般に人はチャンスが訪れても、それをチャンスと認識できない、それだけのことなんではないかな・・・。
たとえばつい最近ですが、アイスクライミングの事件がありました。
連れて行かれる側の立場から見ると、冬靴もピッケルも、アイゼンも、ハーネスも、アウターウエアさえも貸してもらえる。普通の人は体験するのでさえ、17000円もの代金を払うアイスクライミング。交通費さえ初回だからいいよ、と払わずに参加でき、ヤル気さえあれば継続的に仲間に入れてくれる、というのは、ものすごいチャンスなんです。
もし私がこの人の立場だったならと想像すると、迷わず即座にハーネスと冬靴、シェルを買います。迷うような余地がない。いいこと尽くしだからです。ローンになっても買いますね。それくらいの犠牲は仕方ないでしょう。いまどき分割払いが使えない人なんていないですし。
チャンスが来た時にそれがチャンスだと認識できるか、出来ないか? そしてそれをつかむか掴まないか?
思うに、そこが”運が良い人”と”なかなか芽が出ない人”の分かれ目なのではないか?と。
チャンスの女神には前髪はあっても後ろ髪はない、というのは本当です。
チャンスを自分の手でダメにした後で、あれがチャンスだったのだ…と振り返っても遅い。
これだけ明瞭な大チャンスが来て、それをチャンスだと分からないなら、そして、食いついて来ないなら、それはその人の選択なんですよね。
それを選択しているという自覚がない、ということも含めて。
■ 恐れはチャンスのしるし 

運命と言ったり、人生と言ったり、ですが、人生がその人に語りかけることは読み解く能力が必要です。
この件は明らかに山が(運命が、あるいは人生が)その人に「おいで」と語りかけています。
アイスクライミングなんて教えてくれる人を得ることが一苦労、装備を揃えるのが一苦労、パートナーを得るのが一苦労、というようなアクティビティ。その苦労が一切なしで手に入り、必要な犠牲はごく基本的な冬山装備とハーネス、ヘルメットだけって・・・これ以上何を望むのだろう?というような破格の条件。
しかし、チャンスを手にできないとき・・・それは人がしがみつく必要がないような、些末な問題に固執
している時です。
 ・プライド
 ・見栄
 ・世間体(他の人の目にどう見えるか)
そういったことが、障害になることが多いです。 上記の場合は、他人の目、ずうずうしい人と思われるんじゃないか、という恐れが障害になっているようでした。
  (チャンス) vs (ずうずうしいと思われたくないという思い) 
を天秤にかけて、(チャンス)のほうが軽かったから、その人はチャンスを取りませんでした。
(ずうずうしいと思われたくない)というのは、要するにプライドとか、あるいはそう思われたらどうしよう・・・、というような”恐れ”と言う問題です。
そういうのは、自分でチャンスの代償として引き受けるものです。
ずうずうしいと一生、人から一回も思われずに済ますなんて不可能だと常識でわかるでしょうし、どうせずうずうしいと思われるなら、チャンスと引き換えの方が良い。
その上、”思われたらどうしよう”というくらいの、起こってもいない未来、のことは、実際やってみると、杞憂で、誰もずうずうしいと思ったりしないものです。
・・・となると結局、その人はありもしない幻想を恐れて、チャンスを不意にした、ということになります。
つまり・・・自分の心の恐れに打ち勝つことができなかった…のがチャンスがチャンスとして生きなかった理由なんですね。
良く考えたら何も失うものはないのに、失うのを恐れて一歩を踏み出せないのが人なのです。
■ 神様は願いを叶えてくれますが叶う形までは指定できません
神様は願いを叶えてくれます。が、願いがかなう時は、大抵ちょっと違う形で叶います。がそれに文句をつける人には神様は願いを叶えてくれません。 

たとえば私は若いころ、留学にあこがれていました。具体的にはUCバークレーでの留学を夢見ていました。
が神が実現してくれたのは、サンフランシスコの郊外の高級住宅地でベビーシッターしながら、語学を習得すると言う道でした。
でも、当時私の大学へ客員教授で来ていたバークレーの先生が私が渡米するのと同時に帰国し、おまけに車で1時間のごく近所!当然、先生も子供の日本語をキープしたいし、元教え子はちょうど良いという訳で、親しく付き合うことでバークレーの学生と同じ空気を味わうことができました。教室にも無断で無料で忍び込めたし。ツライ試験を受け、大金を払って留学するよりいい条件ですよね。
私は、親元から自立して自腹で大学に通う勤労学生、まさか留学するだけの費用が出る、とはまったく思えない経済的背景です。でも、願っていたらかなったのです。思いもかけぬ方法で!
結果、私はTOEICで900点越えです。
■ チャンスをつかむ決断にはスピードが要る
でも、このチャンスが来たのは期末の翌年の進学まで3か月、渡米まで話が来てから、一か月のスピード決断でした。
もし、私が、「え、アメリカのどこ?」とかちゃんと調べてから、なんて考えていたら、チャンスを取り逃すところでした。
だってアメリカのどこに行くのかも知らないでYESと言ったのです(笑)。
しかし、それは”乗るか反るか”の大チャンスと私が分かっていたからです。
払った犠牲は
 ・入寮していた寮に帰国後戻れない
 ・歯科の治療が中途半端
 ・帰国したら元の仕事(図書館の司書)につけない
です。でもそんなの未来のこと・・・先を心配して今ある道をダメにして何になるでしょう?それが20歳の私の考え方でした。
 だから思うんですよね・・・チャンスは万人に来ているけれども、ほとんどの人はそれがチャンスなのだと認識できないまま、取り逃しているだけなのではないか?と・・・
■ まとめ
・チャンスは万人に来る。ただきた時、チャンスをチャンスだと認識できないと来なかったのと同じになる。
・チャンスが来たら必要な犠牲は払わなくてはならない。
・恐れはそれがチャンスであると言う傍証である。
・恐れを飛び越える人にのみチャンスがチャンスとなる。
・願いは叶う、ただし、少しくらい違っていても文句を言ってはいけない

 
 

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