私は結局のところ、かいつまんで言うと、外国というリフレクターを通して
自国日本の文化や心の持ち方みたいなものを認識する活動に興味があります。
英語そのものが好きなんではなく、英語を通して見えてくる発見がイチイチ楽しいのです(笑)
■ マッタリ感 = Stillness
ちょっと前に読了した本、『減らす技術』 レオ・バボータ のブログサイトトップページに
ある”Stillness is a powerful action” にあるStillnessはちょうどマッタリ感という訳語が
ピッタリだと感じました。 http://zenhabits.net/
日本人が『安心・安全』に対してパラノイアであるように、アメリカ人は『変化』に
大してパラノイアであるようですね・・・このサイトには面白いセリフが・・・
It’s a bias of our culture that stillness is regarded as lazy, as being stuck in inaction, as a negative.
変化をしないこと、じっとしていることは、怠惰の証というのは文化的なもののせいらしい。
私の感性でも夫が過ごしたマッタリ感漂う部屋は、まぁ、
くつろいだ→仕事(掃除)していない→怠惰、
と連想は働きます。 だから私は常に変えています。こういう部分の感性が
日本的ではないのですよねぇ・・・
一方で変化しっぱなしのため常に新しいモノの入力が必要な私と違い、夫は大変おモノ(金)持ちです。
■ 停滞 ≒ 蓄積
停滞するということは、蓄積へつながります。 蓄積と停滞はまさに同じコトを異なる表現を
しただけのことですよね。
景気が悪いので、バブルの頃のような消費喚起しよう!という経済面の提言も多いですが、
バブル時はどんなに無駄が多かったことか・・・すべてが流れていってしまいましたよね(笑)
おそらく、停滞も循環も極端に転べばどちらもNGなのであり、目指すべきは両者の”バランス”です。
そのバランスというのはどのあたりであるのか?そういう議論はあまり聞こえて
こないのは、世間が金さえあれば幸せという妄想に以前とらわれているからの
ような気もしますが・・・どうでしょう?
■ 減らすこと = 集中
集中することと減らすことは同義です。減らさなければ集中はない。
集中しなければ努力というのは大河の一滴のように薄まってしまう。
ところが蓄積系の人が一番苦手なのが減らすこと。
陳腐だが、農耕民族系の人は”貯める”。
貯める=豊かさ と定義するとは、どんなに歩みがゆっくりであっても(つまり停滞していても)、
貯めることは可能だ。単に貯まるスピードの問題に過ぎない。
ところが 貯める=豊かさ、という定義が揺らいでいる。
何のために貯めていたっけ?と我に返る人が増えているのだ。貯める=豊かさだと
信じていた頃は貯めてさえいれば幸せだったが、最近はたんまりすでに貯まっていても
虚しい・・・ そこで、「なんで貯めていたんだっけ?」と我に返るのだ。
そもそも、豊かさは個人の幸せに貢献するためにあるもので、そうでない
豊かさは虚しい・・・ 豊かさという”量”は幸せという実感に”質”転換されないと
意味がないのだ。 今の時代、みんな困っているのは幸せ”質”のほうであって
量ではない。
豊かさ量→幸せ質 への転換は難しいが、幸せ質→豊かさ量へ転落するのは易しい。
幸せを金で買おうとしてもなかなか買えないが、金がなくなると途端に不自由を余儀なくされる
(特に日本では)。
そこのところがかなりの割合で一方通行であるため、人々は”豊かさという量”を
”せめてもの保険”と感じ手放せない。
ここでパラドクスが生じてしまう。たとえば金が無いと子供に良い教育が与えられないと
アクセク働くが、金があっても良い教育が与えられるとは限らず、ついでにアクセク
働いたことで子供と過ごす時間が大幅削減されて逆に不幸・・・そもそも金ではなく
良い教育そのものを目指すべきだったのだ!
自分の子供という”特定の子供にとって良い教育”ってどういうことなのか?
そこらに知恵を絞るべきだったのに金が解決できると思ってしまったところが問題だった。
個人の幸せだって同じこと。一体自分は何をしているのが幸せなのか?
そういったことを絞り込んでいく・・・そしてソレだけをやる。
・・・つまりこの『減らす技術』が提言しているのはそういうことです。
■ What Really Matters
・良い友人、良い妻であるために常にほがらかであること
・日々良く眠れるよう、後ろめたいことをしないこと
・将来につながることをやったと言える活動が一日の大半を占めること
私にとって幸せとはたぶん晴れた日に夫と近所に出る散歩程度のことです(笑)
もちろん、旨いパン屋を見つけたり、バレエのレッスンを受けているときも
幸せ脳波バンバン出ていると思いますが、仕事で「こんな風に言ってもらうと良く分かる」
と誰かに言ってもらったり、「こんなにパソコンって実は便利なのね、助かった」と
言ってもらえることもかなり幸せです。
そういう基準で自分自身を振り返るとプライベートでは私はかなりSuccessfulな生活を
しています。
その成功をONまで拡大すること、それが今私が集中して取り組むべきこと・・・。
どうしたらその課題が解決できるのか?そこのところがいまだ未知なわけですが、
おそらく確実に近づいて行っているでしょう。
自国日本の文化や心の持ち方みたいなものを認識する活動に興味があります。
英語そのものが好きなんではなく、英語を通して見えてくる発見がイチイチ楽しいのです(笑)
■ マッタリ感 = Stillness
ちょっと前に読了した本、『減らす技術』 レオ・バボータ のブログサイトトップページに
ある”Stillness is a powerful action” にあるStillnessはちょうどマッタリ感という訳語が
ピッタリだと感じました。 http://zenhabits.net/
日本人が『安心・安全』に対してパラノイアであるように、アメリカ人は『変化』に
大してパラノイアであるようですね・・・このサイトには面白いセリフが・・・
It’s a bias of our culture that stillness is regarded as lazy, as being stuck in inaction, as a negative.
変化をしないこと、じっとしていることは、怠惰の証というのは文化的なもののせいらしい。
私の感性でも夫が過ごしたマッタリ感漂う部屋は、まぁ、
くつろいだ→仕事(掃除)していない→怠惰、
と連想は働きます。 だから私は常に変えています。こういう部分の感性が
日本的ではないのですよねぇ・・・
一方で変化しっぱなしのため常に新しいモノの入力が必要な私と違い、夫は大変おモノ(金)持ちです。
■ 停滞 ≒ 蓄積
停滞するということは、蓄積へつながります。 蓄積と停滞はまさに同じコトを異なる表現を
しただけのことですよね。
景気が悪いので、バブルの頃のような消費喚起しよう!という経済面の提言も多いですが、
バブル時はどんなに無駄が多かったことか・・・すべてが流れていってしまいましたよね(笑)
おそらく、停滞も循環も極端に転べばどちらもNGなのであり、目指すべきは両者の”バランス”です。
そのバランスというのはどのあたりであるのか?そういう議論はあまり聞こえて
こないのは、世間が金さえあれば幸せという妄想に以前とらわれているからの
ような気もしますが・・・どうでしょう?
■ 減らすこと = 集中
集中することと減らすことは同義です。減らさなければ集中はない。
集中しなければ努力というのは大河の一滴のように薄まってしまう。
ところが蓄積系の人が一番苦手なのが減らすこと。
陳腐だが、農耕民族系の人は”貯める”。
貯める=豊かさ と定義するとは、どんなに歩みがゆっくりであっても(つまり停滞していても)、
貯めることは可能だ。単に貯まるスピードの問題に過ぎない。
ところが 貯める=豊かさ、という定義が揺らいでいる。
何のために貯めていたっけ?と我に返る人が増えているのだ。貯める=豊かさだと
信じていた頃は貯めてさえいれば幸せだったが、最近はたんまりすでに貯まっていても
虚しい・・・ そこで、「なんで貯めていたんだっけ?」と我に返るのだ。
そもそも、豊かさは個人の幸せに貢献するためにあるもので、そうでない
豊かさは虚しい・・・ 豊かさという”量”は幸せという実感に”質”転換されないと
意味がないのだ。 今の時代、みんな困っているのは幸せ”質”のほうであって
量ではない。
豊かさ量→幸せ質 への転換は難しいが、幸せ質→豊かさ量へ転落するのは易しい。
幸せを金で買おうとしてもなかなか買えないが、金がなくなると途端に不自由を余儀なくされる
(特に日本では)。
そこのところがかなりの割合で一方通行であるため、人々は”豊かさという量”を
”せめてもの保険”と感じ手放せない。
ここでパラドクスが生じてしまう。たとえば金が無いと子供に良い教育が与えられないと
アクセク働くが、金があっても良い教育が与えられるとは限らず、ついでにアクセク
働いたことで子供と過ごす時間が大幅削減されて逆に不幸・・・そもそも金ではなく
良い教育そのものを目指すべきだったのだ!
自分の子供という”特定の子供にとって良い教育”ってどういうことなのか?
そこらに知恵を絞るべきだったのに金が解決できると思ってしまったところが問題だった。
個人の幸せだって同じこと。一体自分は何をしているのが幸せなのか?
そういったことを絞り込んでいく・・・そしてソレだけをやる。
・・・つまりこの『減らす技術』が提言しているのはそういうことです。
■ What Really Matters
・良い友人、良い妻であるために常にほがらかであること
・日々良く眠れるよう、後ろめたいことをしないこと
・将来につながることをやったと言える活動が一日の大半を占めること
私にとって幸せとはたぶん晴れた日に夫と近所に出る散歩程度のことです(笑)
もちろん、旨いパン屋を見つけたり、バレエのレッスンを受けているときも
幸せ脳波バンバン出ていると思いますが、仕事で「こんな風に言ってもらうと良く分かる」
と誰かに言ってもらったり、「こんなにパソコンって実は便利なのね、助かった」と
言ってもらえることもかなり幸せです。
そういう基準で自分自身を振り返るとプライベートでは私はかなりSuccessfulな生活を
しています。
その成功をONまで拡大すること、それが今私が集中して取り組むべきこと・・・。
どうしたらその課題が解決できるのか?そこのところがいまだ未知なわけですが、
おそらく確実に近づいて行っているでしょう。