味噌パーティ

2011-02-21 11:04:05 | 現在進行形の甲府暮らし

昨日はデイビッドさんと味噌パーティをしました。メンツは夫、友人、私の4人。

デイビッドさんは東京の大学で教える人なのですが、甲府市からほど近い田舎に土地を買い、田舎暮らしを始めた人。とっても楽しい人です。古い家屋を修復する予定で買っていたのですが、今はその家より、その家を改修するために作り始めた掘っ立て小屋つくりに嵌ってしまい・・・
家のほうは全然・・・畑も始めてしまい、野菜とか作るのがたのしくなっちゃって・・・という方です。

行き当たりばったりに楽しいことをしているのが楽しそう。

彼のリクエストでの味噌作りでした。お味噌は作るのは簡単なのですが、家庭で作るときは生の大豆1kgの量がせいぜいですね。豆って戻すととっても増えるから・・・ あと男性と料理するのは意外に楽しいです。 なんだか、汚しても気にしないのがいいですねぇ、おおらかで(笑)

【味噌の作り方】

基本的に、大豆を煮て、麹と塩と大豆を混ぜて寝かせるだけ(^^)。

分量:
 米麹 500g
 大豆 1kg
 塩   500g

作り方:
 ① 大豆を一晩水に浸して戻す。倍に増える。
 ② 大豆を圧力鍋で柔らかく煮る。 沸騰後10分くらい。
 ③ その間に塩と麹をよく混ぜる。 塩は少量後でふたをするときように取り分けておく。
 ④ 大豆をつぶす。柔らかいペースト。

 ⑤ 麹と混ぜる。

 ⑥ 最後に空気が入らないよう、容器にキッチリつめ、表面をならし、上に薄く塩を振る。
 ⑦ ラップをして皿などをかぶせて隙間なく蓋をし、1kgくらいの重石をして熟成させる。

ポイントは、

 ・豆はとにかく指でカンタンにつぶれるくらい柔らかく煮ること
 ・カビを防ぐこと。そのために最後に表面に薄く塩をして塩分濃度を高め、ラップでぴっちり覆う。
 
です。ごくごくカンタン。大豆をつぶすのが結構重労働だったりします。

思ったのですが、味噌って発酵したハムスといえなくもないですね。海外ではハムス(豆ペースト)
よく食べますが、大豆は畑のプロテインなので、大豆を使ったハムスを考案するとなかなかいいかもしれません。まぁ味噌そのものも野菜ディップとして食べれますが。

デイビッドの畑では大豆が取れるので、来年あたりは自家製の豆で味噌を作れるかもしれません。


■ 変われないというアイデンティティ

昨日は、地元の山梨で農業をやっている男性の友人も呼んでいたこともあり、日本の食糧自給の話から、肉食の話、世界経済など色々な話題を議論でき面白かったです。

しかし、友人は非常に若手の農業担い手ですが、彼の話を聞いても、地方の農業、あるは地方都市の一般的なものの考え方というのは、やはり、「国が手を打ってくれないと・・・という」、やはり、他力本願の人たちの集まりです・・・。

地元のしがらみ、歴史、人間関係、などなど、うまく行かない理由&できない理由は山ほどあります。

それを一つ一つ挙げるのは上手ですが、つぶしていくことができない。それをつぶしていけるような仕組みを作るのは、国の仕事だ、と思っているわけではないのですが、話が壮大すぎてできない、と初めからさじを投げています。

それは思い込みなのですが、これを覆すのは、思い込んだ人たちの経験や知識が必要で、けっきょく、思い込みから逃れられないのは本人の知力の限界、というようなこと。

いや本人達も分かっているのだそうです。こういう考え方ではダメだ、と。ところが分かっていても能力的にもう限界。知力的にも、体力的にも、資力的にも、限界、なのだそうです。

まだ余裕があるうちには手を打たなかったので、もうギリギリの崖っぷち、ということだそうです。

なんだか、祖母の状況と似ていますね・・・(^^;) 無策という策かぁ。でも人のせい(笑)?

友人の弁では、そういう自信喪失のところに、例えばデイビッドさんのような外国人が田舎暮らしをはじめ、何か楽しそうなことをやっていると、地元の人たちと言うのは大いに勇気付けられ、元気付けられ、もう一花咲かそうか、ということになるのだそうです・・・

(なんだ、やっぱり気持ちの問題じゃん、というツッコミはこの際置いておきましょう・・・ ^^;)


■ グラスに半分しかないという現実 半分もあるという真実  

そこをどうやって”山梨には桃しかない(意気消沈)・・・”から”山梨には世界に誇る桃技術があるもん!”に変えるか?

結局は、パラダイム転換というような発想の転換は、”外部からしかもたらされない”と彼はいう・・・

しかし、これは真実ではありませんが、”タダの”現実です。 現実と真実をごっちゃにしているんですよね。

現実的指摘では、小さいところでは、地元を変える(地域活性化)するのは、外部の人。 沖縄とかそうですよね。黒船しかり、明治維新しかり・・・。

しかし、現実を見つめる、というのは、”できない”という想念を強化する効果しかありません・・・(汗)

地元は変わらない、とか、日本は変わらない、と言ったとき、どうもその概念の中に自分が含まれていないように思うんですよね。

私は都会人が好きです。それは、ひとつには、地元を離れて都会にきた人と言うのは、与えられたものに一度NOという意思表示をした人だと思うからなんですね。環境が変わらないなら、変えるしかないといって都会にきたんだと思います。だから選んでいる。もちろん、その後やっぱり田舎がいい、といって選ぶ人もいる。
そうすると、嫌々そこにいるわけでないから、良いことも悪いこともその人の選んだ選択の結果なのです。

そうすると愚痴にはならないはずです。 地方都市や、先祖の土地に縛られた田舎の人には、こういう選択のプロセスを経ていない人が多すぎます・・・。世界的に見ると、とってもお子様、な態度なのです。

私が思うには、コレではダメだと思いながら変われない人、それは、人でも、ビジネスでも、地域経済でも、国家経済でも同じですが・・・例えば、ダイエットしたいのにできないという人など・・・は、まだ”追い込まれ方=窮状”が足りない。

まだ、どん底でない・・・ということなのです。「誰かに変えて・・・誰か私を変えて!」と言っている状況は、おぼれてもいないのにおぼれそうだから助けてと言っているのに似ています。救急隊員も助けようがない。

ダイエットができない人は、そもそもダイエットする必要を真摯に感じておらず、痩せている人のメリットが、欲しいだけ。本当にダイエットが必要になればあっという間に痩せます・・・例えば運動量がうんと増えるとか。
食べる時間がないとか。

『風と共に去りぬ・・・』を思い出すのは私だけかもしれませんが、気位の高い令嬢スカーレットだって食べるために手に鍬を持った。

追い詰められれば人間変わらざるを得ない。

結局のところ、日本は本当に豊かなんだよな・・・というのが私の感想です。

というワケで日本の窮状と言うのは心配する必要がないという結論に達しました(^^)

エジプトや中東・アフリカの国々・・・比べてみるとどうでしょう?せっかくニュースも自由に入手でき、言論の自由もあり、飢えもなく、時間があるのですから・・・。

■ 私が思う、日本のここがいい!ベスト5

① 本が安い!

日本はとっても知識が安い!本が安いのです。専門書が50ドル以下で手に入る国なんてそうありません。
海外といってもアメリカくらいの国ですが、教科書は一冊100ドルとか200ドルします。
つまり、知識階級=お金持ち。 庶民だって知識階級に入れる、というのは日本だけではないでしょうか?

この安さにはインターネットも入ります。知識が安い!だから知識を味方につけるのが日本では有効かな?

日本では浮浪者でも新聞が読める!ということは知識階級はどれだけ高度な知識にアクセスできるんだ!というワケです。

② 便利

街なみや景観の美しさは日本には期待できない代わり、便利な生活という意味ではNo1です。
電車が1分遅れて謝ってくれる国は日本以外ありません。

この混沌と無計画な街でよくもこんな利便性の高い街を築いたものだ、という英知に感嘆・・・(笑)

海外では、利権もしがらみも既得権益もない更地に、エリートが頭をひねって都市計画を立て大規模に開発して美しい町並みを作っても、日本と同じ輸送効率や経済効率は実現できません。

あちらが能力が低いのか?それともこちらが能力が高いのか?両方なのか?

③ 気候と自然と水 

自然はたくましく、人間の破壊的な侵略に良く耐えています。日本では荒れたとは言え、山はまだ緑色。これが茶色なのがオーストラリア。水がないからです。世界中で水は死活問題。毎日風呂に入れる生活は日本だけの贅沢です。

日本人が外国の水でおなかを壊すのは、日本の上水道が上等すぎ、雑菌がいないからですが、さらにそのような国でペットボトルの水が売れる。水道が飲めないからではないということはつまり水道水が中水化しているのです、贅沢にも!より高度な水を人々が飲むようになった。

その証拠に湧水などわざわざポリタンクでもらいに来る人が一杯。

④ 成熟社会である

日本は成熟している社会なのです。露骨な競争で骨身をすり減らすことはしなくて良い。

仮に日本人が海外へ行くと、そこで戦う相手はエジプトや中東と言う内戦から逃れて来た人たちです。
そういう人たちが必死で生活基盤を築こうとする場で、日本人が競争できると思います?

例えば雇い主の目から見れば、どちらが熱心に働く労働者になるか? ね?


⑤ 平和

平和は大きいですね。 私は自殺する子供がいるととても切なくなります・・・自分のことを思い出すからです・・・が
それでも日本は平和だと思います。 自殺する子の切なさと、飢えて死ぬ子の切なさは違う。

子供の自殺は親の責任ですね。親さえ自分の味方であれば子供は大抵なんとか生き延びれるものです。

日本では子供時代が一番不幸せです。命令され生きていかないといけない。そこさえ乗り越えてしまえば、後は自分で人生を組み立てられるようになります。今が一番悪いのだから、子供には乗り越えてもらいたい。

一方大人の自殺はあまり心配していません。 死にたいと言う人ほど長生きしているし・・・・、
拒食症で自殺願望があり、リストカット○回という人にも会いましたが・・・まだ生きているし。話し長いし(^^;)。

私があるとき勤めた外資の職場で採用理由を聞くと前職者が自殺していました・・・(汗)
その仕事、とってもつまらなかったんです・・・ゴールデンカフス(金の手錠)だったんですね。

人を襲う不幸には色々あり、不幸への対処にも色々あります・・・。人間ってケツまくって逃げてもいいんです。責めた人が私を助けてくれるでしょうか?くれない。

人生で死ぬほどつらいとき助けてくれる人がいる人はほとんどいません。大人になれば、子供にとっての親のように最後の砦になってくれる人はいない。その代わり、どろんしてもいいのです。死ぬくらいなら逃げる。逃げたときの社会的非難が怖いから逃げれない、のはまだ底ではない。 

自分が壊れるか、社会的非難を受けるか?の二者択一なら非難を甘んじて受ける。会社に来なくなった人をせめても仕方ないです・・・死なれるよりマシでしょう…。

そこまで人を追い詰めたり、話を煮詰らないようにしてもらいたいものですが、煮詰まっているのが成熟っていう意味でもあります。


良い面と悪い面は表裏一体なのですが、悪く出るか良くでるかは利用の仕方次第なのですよね。

そういうことを改めて感じた、味噌パーティ・・・でした(笑)

最後ちょっと重くてすみません…


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