昨日、頼まれていた翻訳を完了し、やっと開放された気分でゆっくり過ごせました(笑)
どちらにしてもゆっくり過ごすんですけどね(^^;)
最近読んだ本の感想なんかをまとめていなかったので、ちょっとまとめ・・・
■ 『もったいないね このバチ当たりめ!』 ビートたけし&北野大
兄弟の環境問題対談。 かるーい本。
目次をみると、”子供の頃には環境問題なんかなかった”とか”原発、安全なら東京湾に作れ”など、
ごもっとも、な話が出ています。”環境問題は先進国のエゴ”とか・・・こういう本の良いところは
軽く読め、流れを俯瞰することができることです。
そう、日本では環境問題は公害と以前は呼ばれていました。 環境を守ろう!といえば、最近は
森林や山、野生動物も出てきますが、基本は公害を出さないことですよね。
環境問題の本質を、お2人のお母さんの言葉で要約しています・・・”もったいない” ”バチ当たりめ!”
この”もったいない”という言葉は、使うべき価値が発揮されずに死蔵されてしまうこと、を指します。
「もったいない、もったいない」なんて言ってモノを死蔵させる人がいますが、言葉の使い方を間違っているんですね。
使わないこと自体がもったいないこと・・・。
例えば、日本では大量に食糧を輸入して、食べきれずに捨てています。もったいなくない?(笑)そして当然視していて感謝していないところが”バチ当たり”です。
最近、インテリアの本で、『持たない暮らし』金子由紀子 を立ち読みしたのですが、節約を呼びかけるものではなく
必要なもの(自分が愛せるもの)を買おう、という本で好感を持ちました。 要るものは要る、いらないものは
要らない。当たり前ですが・・・。 当たり前が難しいのですよね。
■ 人間の欲とは・・・・ More
例えば、自噴する温泉は、使わなければそのまま流れて行ってしまいます。利用しなくてはもったいない。
そこで入浴する、ということになった。
ところが、(たくさんの人を入浴させること)が目的になると今度は、一度使った水を循環したり(結果、病気が蔓延する)、
さらに(金儲けが目的)になると、入浴剤を入れたり(結果、うそつき)となる。
温泉を利用して入浴する、という同じことをしていても、生み出す結果は段階的に悪くなります。
この悪くなるか悪くならないか?の境目は、”もっと!”、つまり More、です。これが人間の欲。
自然が提供してくれた”恵み”以上に、”もっと、もっと”と求め続けること。
”もっと”のために 手段を選ばなくなる、ということが、悪魔に心を売り払う行為(笑)ってワケです。
環境問題とは、本質的には、何をすべきか?ではなく、どの程度すべきか?という”量的”問題なのだ、
ということがわかります。
■ 『プレゼントの経済学』 - 死重損失
”もったいない”は”死蔵した価値”を作らないということですが、経済学でも”もったいない”に
専門的な名前をつけています。 その名前が”死重損失”。
死重損失をカンタンにいうと、1000円分の買い物をして誰かに1000円渡れば、全体でみれば
価値が1000円分AさんからBさんに移っただけ。でも1000円札が燃えてしまえば、1000円が
無駄になったことになる。
例えば、必要なダムを公共事業で作ります・・・これは死重損失ではない。けれど、ダムを使わなかったら
死重損失。 途中でやめた工事なんかは死重損失。
モノを買って仕舞っておき、使わなかったら死重損失。 食べ物を残したら、残した分は死重損失。
環境問題は、経済学的には死重損失をなくそう、という活動とも考えられます。これは無駄を作らない
というのですから、節約とは違います。
そこで繁栄と充足と言うことを段階的に考えてみました。
① 贅沢三昧 = 無駄一杯 例: 靴300足 INが多すぎる OUTも多すぎる
② 無駄がない → 充足 つりあっている INとOUTがつりあっている
③ 節約 → 充足を小さくしようとする 例:少食 INもOUTも小さい
④ 倹約 → 必要なものを買わない 例:守銭奴 INは大きく、OUTは小さい
⑤ 貧 → 必要なものを買えない InがないのでOUTもない
今の世界は、①と⑤の国々の極端なコンビネーションでつりあっているのです。
日本はやっと①から脱却して②になろうということでよいことだと思います。
問題なのは、景気が良いという状態に対する人々の誤解です。一般的には人々が無駄なお金を一杯使うこと
が景気が良い状態だ、と、誤解しています。①ですね。経済学では決してそんなことは言っていません・・・。
ちなみにこの本は、プレゼントというものは、相手に1000円分あげても、相手にとっては870円分にしか
感じられませんよ(13%価値を失う)、だからプレゼント作戦やめましょう、という提案の本です(笑)。
13%分のプレゼント価値が無駄になる。 これは国家予算規模くらいの経済損失らしい。
■ 無駄 vs 虚礼
たしかにアメリカその他、西洋諸国では、クリスマスは日本のお歳暮と同じで、プレゼントをする
決まりです(笑) それが”もったいないからやめよう”という話。
日本では、同じプレゼントを”やめよう”となっても”虚礼廃止”・・・(笑) どちらが正直者か・・・日本だって結構
正直ですよね(笑)
西洋という社会も、情緒的には非常に回りくどく、ある意味、素直でない社会です。
日本から見ると羨ましいときもありますが、アチラはアチラで大変なようですよね。
政治システムや国家の運営などのスキル比較で行けば、日本は世界中から「日本の最大の弱点は
政治家が馬鹿なこと」と認識されているくらい国家運営は下手なので、国民としても本当にゲンナリして
しまうときもありますが、だからといってアチラに問題がないかというとそうでもないわけですね(笑)
■ 『地球の授業』 ユベール・リーヴズ
この本はフランス人の書いた地球環境問題の本です。 人類の文明と自然とのかかわりを
地球の歴史から眺めています。
すると・・・見えてくるのは、やっぱり、人間は ”程度をわきまえず、環境破壊しては、自滅してきた”
ということ。 文明は環境破壊で自滅、を繰り返しているのです(笑)。懲りていないのは、その度に
緑の革命やら、産業革命やら、なんらかの技術革新で難を逃れた、と思っているからです。
環境問題=量的に過剰である、ということが滅亡への階段。 ”もっと”というのは”自滅への道”です。
地球の人口60億人は、自然が支えられる、生物の一員としての人間の量、を超えているのではないか?
という問題意識とつながります。
いかだの話が出てきます。これは言い得ていて妙です。 5人がいかだで漂流しています。
将来は助かるかどうか分かりませんが食糧は十分あり、誰かが助けに来てくれる、という期待も持っています。
そこへ遭難者が1人流れてくる。もちろん、助けます。 5人が6人になっても大丈夫。人道的に見捨てることはできません。
ところが、そこへ再度3人流れてきます。すると議論になります。食糧が持つかどうか分からないからです。
しかしそれでも人道的配慮で助ける。
すると今度は5人の遭難者が流れてきます・・・もう議論にはなりません。どう考えても5人を救えば、
ボートは沈み全員が明日もないことは分かっているからです。
そして、次は何十人もの遭難者でボートは取り込まれてしまいます・・・・。このとき、将来を楽観視するのは
人間なかなかできることではありません・・・。
人道主義の限界を語った話です・・・(^^;) 環境問題も、日本の老人の問題に置き換えると、
論点は道徳心ではなく、そもそも量的に圧倒的に不足する富、という話なのだ、と分かります。
また、狼の導入でシカの害が減って生態系が維持できた、という事例も紹介されています。今はシカの害がアチコチで聞きますが、しかも天敵がいないから増えているんですよね。猟師より狼? 困った問題には必ず前例があるのでろうと思います。困った困ったと行って手をこまねいているのは、もしかしたら、単なる問題の先送りなのかもしれません。
私がこの『地球・・・』で一番好きな箇所は、”人類の人間性は進歩したのだろうか?”と題す章です。
ほとんどの人は、現代社会(文明)を物質的には豊かになっても、道徳的には堕落した、として否定すると思います。
でもこの本では、魔女狩りや大量虐殺、戦争、などなど・・・人間の道徳性は過去の歴史から見て
改善している、という立場で論じています。
昔のギリシャでは、飢えた動物が人間に食いかかるのを見て大衆は拍手喝さいしていたそうです・・・野蛮。
ほんの100年前と比べても女性には選挙権がなかったりもしたのですからやっぱり時代は進化してよい方向に進んでいる。
環境問題などの本を読んでいると必要以上に悲観的になりますし、老人の介護や年金問題でも
そうです・・・昔はよかった、という気分になります。でも、昔に返りたいか?というと帰りたくないでしょう・・・。
やっぱり今が一番良い時代なのです。いろいろ問題はあれど。
私は大人になる、ということについても同じように感じています。誰しも子供時代は美化しているもの。
子供の頃は幸福だったなぁ・・・と今を棚に上げてしまいますが、実際帰りたいかと言うとどうでしょう?
帰りたくないかも? 子供が自由なんていうのは嘘で子供のときは46時中誰かに監視され、
自由はなく大変です。 自分に決定権がない。
大人になれば、自分で自分のことを決めることができます。ものの考え方だってコントロールできます。
というわけで今が一番しあわせ。 それは個人としても、人類としてもそうだと思うのです。
祖母もおそらく、100年前に86歳であるより、現代で86歳であるほうが幸せなはずです。
そこのところが理解できないで自分は不幸だと嘆いているのは・・・自分自身の主観の問題であるような
気がします。人は幸せをポンと誰かに上げることはできないのです・・・幸せって見つけるものではなく
自分で作るものですよね。
それが日本の諸問題は心配しなくていい、と私が考える理由のひとつです。
明日の食事に心配しなくてはならないのがアフリカとすれば、1ヵ月後の生活が心配なのが先進国の移民たち、
そして、老後が心配なのが先進国。
日本でもアルバイトの若い人が年金を納めないわけを聞かれ、「5年後の生活が確保できていないのに
老後の心配なんてできません」と答えていましたっけ。
日本は本当に恵まれた国で、どこかのチラシにもありましたが、日本に生まれただけで宝くじで
一億円当たったようなもの・・・(笑)
心配と不安は時間の無駄、ですね・・・無論、無策でよいということではないのですが。
(ただし歴史的に日本政府の策は”何もしないこと”であったとドラッカーが指摘していますが・・・)
どちらにしてもゆっくり過ごすんですけどね(^^;)
最近読んだ本の感想なんかをまとめていなかったので、ちょっとまとめ・・・
■ 『もったいないね このバチ当たりめ!』 ビートたけし&北野大
兄弟の環境問題対談。 かるーい本。
目次をみると、”子供の頃には環境問題なんかなかった”とか”原発、安全なら東京湾に作れ”など、
ごもっとも、な話が出ています。”環境問題は先進国のエゴ”とか・・・こういう本の良いところは
軽く読め、流れを俯瞰することができることです。
そう、日本では環境問題は公害と以前は呼ばれていました。 環境を守ろう!といえば、最近は
森林や山、野生動物も出てきますが、基本は公害を出さないことですよね。
環境問題の本質を、お2人のお母さんの言葉で要約しています・・・”もったいない” ”バチ当たりめ!”
この”もったいない”という言葉は、使うべき価値が発揮されずに死蔵されてしまうこと、を指します。
「もったいない、もったいない」なんて言ってモノを死蔵させる人がいますが、言葉の使い方を間違っているんですね。
使わないこと自体がもったいないこと・・・。
例えば、日本では大量に食糧を輸入して、食べきれずに捨てています。もったいなくない?(笑)そして当然視していて感謝していないところが”バチ当たり”です。
最近、インテリアの本で、『持たない暮らし』金子由紀子 を立ち読みしたのですが、節約を呼びかけるものではなく
必要なもの(自分が愛せるもの)を買おう、という本で好感を持ちました。 要るものは要る、いらないものは
要らない。当たり前ですが・・・。 当たり前が難しいのですよね。
■ 人間の欲とは・・・・ More
例えば、自噴する温泉は、使わなければそのまま流れて行ってしまいます。利用しなくてはもったいない。
そこで入浴する、ということになった。
ところが、(たくさんの人を入浴させること)が目的になると今度は、一度使った水を循環したり(結果、病気が蔓延する)、
さらに(金儲けが目的)になると、入浴剤を入れたり(結果、うそつき)となる。
温泉を利用して入浴する、という同じことをしていても、生み出す結果は段階的に悪くなります。
この悪くなるか悪くならないか?の境目は、”もっと!”、つまり More、です。これが人間の欲。
自然が提供してくれた”恵み”以上に、”もっと、もっと”と求め続けること。
”もっと”のために 手段を選ばなくなる、ということが、悪魔に心を売り払う行為(笑)ってワケです。
環境問題とは、本質的には、何をすべきか?ではなく、どの程度すべきか?という”量的”問題なのだ、
ということがわかります。
■ 『プレゼントの経済学』 - 死重損失
”もったいない”は”死蔵した価値”を作らないということですが、経済学でも”もったいない”に
専門的な名前をつけています。 その名前が”死重損失”。
死重損失をカンタンにいうと、1000円分の買い物をして誰かに1000円渡れば、全体でみれば
価値が1000円分AさんからBさんに移っただけ。でも1000円札が燃えてしまえば、1000円が
無駄になったことになる。
例えば、必要なダムを公共事業で作ります・・・これは死重損失ではない。けれど、ダムを使わなかったら
死重損失。 途中でやめた工事なんかは死重損失。
モノを買って仕舞っておき、使わなかったら死重損失。 食べ物を残したら、残した分は死重損失。
環境問題は、経済学的には死重損失をなくそう、という活動とも考えられます。これは無駄を作らない
というのですから、節約とは違います。
そこで繁栄と充足と言うことを段階的に考えてみました。
① 贅沢三昧 = 無駄一杯 例: 靴300足 INが多すぎる OUTも多すぎる
② 無駄がない → 充足 つりあっている INとOUTがつりあっている
③ 節約 → 充足を小さくしようとする 例:少食 INもOUTも小さい
④ 倹約 → 必要なものを買わない 例:守銭奴 INは大きく、OUTは小さい
⑤ 貧 → 必要なものを買えない InがないのでOUTもない
今の世界は、①と⑤の国々の極端なコンビネーションでつりあっているのです。
日本はやっと①から脱却して②になろうということでよいことだと思います。
問題なのは、景気が良いという状態に対する人々の誤解です。一般的には人々が無駄なお金を一杯使うこと
が景気が良い状態だ、と、誤解しています。①ですね。経済学では決してそんなことは言っていません・・・。
ちなみにこの本は、プレゼントというものは、相手に1000円分あげても、相手にとっては870円分にしか
感じられませんよ(13%価値を失う)、だからプレゼント作戦やめましょう、という提案の本です(笑)。
13%分のプレゼント価値が無駄になる。 これは国家予算規模くらいの経済損失らしい。
■ 無駄 vs 虚礼
たしかにアメリカその他、西洋諸国では、クリスマスは日本のお歳暮と同じで、プレゼントをする
決まりです(笑) それが”もったいないからやめよう”という話。
日本では、同じプレゼントを”やめよう”となっても”虚礼廃止”・・・(笑) どちらが正直者か・・・日本だって結構
正直ですよね(笑)
西洋という社会も、情緒的には非常に回りくどく、ある意味、素直でない社会です。
日本から見ると羨ましいときもありますが、アチラはアチラで大変なようですよね。
政治システムや国家の運営などのスキル比較で行けば、日本は世界中から「日本の最大の弱点は
政治家が馬鹿なこと」と認識されているくらい国家運営は下手なので、国民としても本当にゲンナリして
しまうときもありますが、だからといってアチラに問題がないかというとそうでもないわけですね(笑)
■ 『地球の授業』 ユベール・リーヴズ
この本はフランス人の書いた地球環境問題の本です。 人類の文明と自然とのかかわりを
地球の歴史から眺めています。
すると・・・見えてくるのは、やっぱり、人間は ”程度をわきまえず、環境破壊しては、自滅してきた”
ということ。 文明は環境破壊で自滅、を繰り返しているのです(笑)。懲りていないのは、その度に
緑の革命やら、産業革命やら、なんらかの技術革新で難を逃れた、と思っているからです。
環境問題=量的に過剰である、ということが滅亡への階段。 ”もっと”というのは”自滅への道”です。
地球の人口60億人は、自然が支えられる、生物の一員としての人間の量、を超えているのではないか?
という問題意識とつながります。
いかだの話が出てきます。これは言い得ていて妙です。 5人がいかだで漂流しています。
将来は助かるかどうか分かりませんが食糧は十分あり、誰かが助けに来てくれる、という期待も持っています。
そこへ遭難者が1人流れてくる。もちろん、助けます。 5人が6人になっても大丈夫。人道的に見捨てることはできません。
ところが、そこへ再度3人流れてきます。すると議論になります。食糧が持つかどうか分からないからです。
しかしそれでも人道的配慮で助ける。
すると今度は5人の遭難者が流れてきます・・・もう議論にはなりません。どう考えても5人を救えば、
ボートは沈み全員が明日もないことは分かっているからです。
そして、次は何十人もの遭難者でボートは取り込まれてしまいます・・・・。このとき、将来を楽観視するのは
人間なかなかできることではありません・・・。
人道主義の限界を語った話です・・・(^^;) 環境問題も、日本の老人の問題に置き換えると、
論点は道徳心ではなく、そもそも量的に圧倒的に不足する富、という話なのだ、と分かります。
また、狼の導入でシカの害が減って生態系が維持できた、という事例も紹介されています。今はシカの害がアチコチで聞きますが、しかも天敵がいないから増えているんですよね。猟師より狼? 困った問題には必ず前例があるのでろうと思います。困った困ったと行って手をこまねいているのは、もしかしたら、単なる問題の先送りなのかもしれません。
私がこの『地球・・・』で一番好きな箇所は、”人類の人間性は進歩したのだろうか?”と題す章です。
ほとんどの人は、現代社会(文明)を物質的には豊かになっても、道徳的には堕落した、として否定すると思います。
でもこの本では、魔女狩りや大量虐殺、戦争、などなど・・・人間の道徳性は過去の歴史から見て
改善している、という立場で論じています。
昔のギリシャでは、飢えた動物が人間に食いかかるのを見て大衆は拍手喝さいしていたそうです・・・野蛮。
ほんの100年前と比べても女性には選挙権がなかったりもしたのですからやっぱり時代は進化してよい方向に進んでいる。
環境問題などの本を読んでいると必要以上に悲観的になりますし、老人の介護や年金問題でも
そうです・・・昔はよかった、という気分になります。でも、昔に返りたいか?というと帰りたくないでしょう・・・。
やっぱり今が一番良い時代なのです。いろいろ問題はあれど。
私は大人になる、ということについても同じように感じています。誰しも子供時代は美化しているもの。
子供の頃は幸福だったなぁ・・・と今を棚に上げてしまいますが、実際帰りたいかと言うとどうでしょう?
帰りたくないかも? 子供が自由なんていうのは嘘で子供のときは46時中誰かに監視され、
自由はなく大変です。 自分に決定権がない。
大人になれば、自分で自分のことを決めることができます。ものの考え方だってコントロールできます。
というわけで今が一番しあわせ。 それは個人としても、人類としてもそうだと思うのです。
祖母もおそらく、100年前に86歳であるより、現代で86歳であるほうが幸せなはずです。
そこのところが理解できないで自分は不幸だと嘆いているのは・・・自分自身の主観の問題であるような
気がします。人は幸せをポンと誰かに上げることはできないのです・・・幸せって見つけるものではなく
自分で作るものですよね。
それが日本の諸問題は心配しなくていい、と私が考える理由のひとつです。
明日の食事に心配しなくてはならないのがアフリカとすれば、1ヵ月後の生活が心配なのが先進国の移民たち、
そして、老後が心配なのが先進国。
日本でもアルバイトの若い人が年金を納めないわけを聞かれ、「5年後の生活が確保できていないのに
老後の心配なんてできません」と答えていましたっけ。
日本は本当に恵まれた国で、どこかのチラシにもありましたが、日本に生まれただけで宝くじで
一億円当たったようなもの・・・(笑)
心配と不安は時間の無駄、ですね・・・無論、無策でよいということではないのですが。
(ただし歴史的に日本政府の策は”何もしないこと”であったとドラッカーが指摘していますが・・・)