大人にとって趣味の成功の意味

2013-06-16 20:07:04 | 魂と心の成長
■ まったり家での休日

今日はのんびりした休日でした…夫は満足げです。

しっかし彼はホントに仕事大好きみたいで、家でもPCと裸の基板が接続されています…なんで基盤の解析なんかやってんだろう…???

まぁいいけど、私がおねだりしなければ、家の外に一歩も出ないのではないか?と思うのですが…。

■ 身体ニーズ

私は、と言えば、しばらく記事を書いて、家事などの用事をして、を繰り返すと、どうしようもなく体を動かしたくなってしまうのです。じっとしていられない。

私はバレエを長いこと習っていたので(バレエをする人はみんな知っていますが、バレエをしだすと生活自体がバレエ色になるのです…。まぁ山と同じですね♪)

たとえば、朝、歯磨きしているときは、まずクッペ(片足立ちって意味です)で、今日の調子を確かめ、台所でお湯を沸かしている間は、キッチンのシンクをバー代わりに、ダウンドッグと同じ体制で背中を伸ばし…ついでにパンシェして足を上げます。コーヒーを入れつつ、とりあえずアティチュード(足を後ろに上げた片足立ち)、何秒維持できるか?背中を伸ばして、床を押す! 漫然と立たない!おへそを上げる!と。

その間も足を一番にしたり、片足プリエで重心を確認したり、ちょっと股関節調子悪いなと思えばロンデで回して…と… まぁ家の中に居ても、そんな具合で、台所ではポーズの確認。

ちょっと何かを取るときは、ピケポイントで…。トイレに行くときは必要もないのに、シャッセ… そんな具合です(^^;)
やってると、ここが凝ってる、とか分かるので、ちょっと座ったり椅子を使ったりして伸ばします。首を回すだけでも、脊柱起立筋の凝っている箇所が気持ちいい…

ちょっとストレッチポールに寝ころびましょうかね…みたいな感じ。

家に一人でいる私を見た人は、クスクス笑いが止まらないでしょう…

…ここ2年はバレエのレッスンとは遠ざかっていますが、今の環境で無理してバレエを再開したいとも思えない…です。

よくよく振り返って考えてみると、大人の趣味の成功というのは、こういう風に、

その人らしい生活習慣を得る

ことなのかもしれません。

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考えは言葉になり、言葉は行動になり、行動は習慣になり、習慣は人となりとなる。
人となりは、生き方となる。Byウパニシャッド(ヨガの経典)
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…と、言うそうですが、バレエの習慣は完全に私の人となりであり、もう生き方化しているかもしれません。

生き方がバレエっぽくなること… それがどんな程度であれ・・。

大人のバレエは、趣味のバレエ。しかし、バレエは芸事であり、競争の世界なので、大人もその価値観から逃れられず苦悩する人が後を絶ちません。バレエは報われない、と言って去る人も多いです。

でも大人から始めた人が、今からバレリーナになろう!って人はいませんよネ。

が、レッスンでは同じ価値観で図られたりします…こまっちゃうなぁ…。

それは基本的には先生たちの価値観の転換が遅れているからです。大体バレエの先生になる人は、自分がバレリーナになることに挫折し、第二のベストとして教えることを選んだ人が多いからです。

自分の夢を他人に託そうとしてしまうのですね…でもそれでは大人はバレエを生きることができない。先生自体がバレエを生きてくれないと。

たとえば、上達する過程で、一流バレリーナほどになる人は、一度は過酷な訓練を通過します。体を壊す。それは彼らには許容されるものですが、大人から始めた人に、バレエのエリートと同じようなトレーニングを課して「頑張ればできるようになる」と言われても…。出来るようになる前にバレエ自体ができなくなります(--;)

特に有名なバレリーナを育てたこと、育てることを実績と考える先生には多く… 楽しむためのバレエ、つまりプロセス重視ではない。今やっているレッスンの、どこかほかに大成功があると思ってしまうんですね。大人にも無理をさせてポアントをガンガンはかせたりします。

でも、大人で無理すると、体を壊すほうが、成長するより急速なんですよね。

たとえば、私は膝の後ろが伸びすぎ、反り返った脚をしているので、ポアントワークは用心しないとすぐ膝の靭帯が痛くなります。もちろん、膝の靭帯が伸びすぎるということは、表の大腿四頭筋を鍛えないといけないってわけですが、そうまでしてポアントを履かなくてもいいかも?ポアントを履く以外にもバレエとしてはやっておくべきことがいっぱいあるわけですし…。

平背もストレートネックも、反張膝とセット販売でバレエの弊害。私のカラダはバレエでだいぶ痛めつけられたんですよね…そのことをヨガをしているととても感じます。ヨガは人間の解剖学的な自然な動きを否定しないので…バレエって、ちょっと無理が大きいです。特殊な骨格の人がやるものですからね、ロシアでは。

まあ、ヨガもアクロバティックなヨガは、バレエ以上に負傷や故障が多いものですが…それに
どうだ!すごいだろう!!と感心させることが大きな誘惑であることはバレエ以上です…一般人に敷居が低いので。スゴイかすごくないかで図らなくてもいいのに…

…というわけで、山梨に来てバレエから遠ざかることは、身体を回復させる、という意味でも必要なタイミングだったのだろうな~と思ったりします。ヨガは回復というよりは、バレエより体に悪くない穏やかなエクササイズと言う感じです。

私にはメンタル面での瞑想のほうが価値があるヨガエクササイズです。

思うに、大人にとっての趣味の成功、というのは、その人のクオリティオブライフが趣味によって向上したかしないか?ではないかと思います。

だって大人にとっては今生きている時間が本番、そのものなのですから…”大きくなったら”は、もうありません。

それは、どんな趣味も一緒で、登山もクライミングもあるいはパソコンという趣味だって、その人の生活の質が向上したか、どうか?が、大人にとっては唯一の成功なのではないでしょうか…。 

ただ一つの頂点を目指す価値観は物差し…バレエならエトワールになること、アルパインクライミングなら、登山史に名を残す山行を行うこと…などは、ある種、たたき台としてあるというか、ガイドラインとしてあるというか、大まかに上達するとはこういう方向性だよ、ということを示すガイドラインのようなもので、その価値観に沿っていなくては、失敗とか成功ではない、という意味ではなく、基本的に何もたたき台がない状態では、各々各人がそれぞれのスタイルを構築するのも効率的でない、ということだからあるのかな…と思います。

要するにエトワールの体型でないことを嘆かなくても良い。 私にとっては太い太いと言われ続けた脚の太さが今では脚が良い、と言われることです。

■ 通好み

最近思うのですが、私はバレエを習っていても、コンテンポラリーダンスが好きで、クラシックファンが9割の日本のバレエファンとはちょっと好みが違っていました… 通好みなのです。

コンテ好きなものの、やっぱりバレエの正しい型を基本にしたコンテが好きなので、好みは完全に抽象的なものより、バレエの型の美しさが味わえるモナコのモンテカルロバレエ団とか、バランシンの作品とか、ベジャールとかです。通好みなんですが、ガンガンの前衛バレエほどは、とがっていはいないんですよね。

登山に例えると、ピークハントより人気のない山が好き、というのに似ているかもしれない。
そんなに先鋭的でないことが好きというのも、登山でも同じかもしれません。

■私らしい感じ

バレエは二十歳で始め、仕事などが忙しくて途中に何年か休みが入ったりもしましたが、約20年続けました。だからといって、何かに名前が載ったことはありませんが、確実に今ある生活はその20年の成果だと思います。

それと同じで、今こうしてブログを書く力も仕事をこなしながら得たもの。企画力もそう。
自分の山を探す能力もそうですね。 色々な力が、私らしさを形作っている。

晴れれば人のあまり多くない山に無理せず登り、平素の生活はバレエで、読書を欠かさず、モノを日々書きとめ、精神生活はヨガの教えに従い、食生活はバクティヨガを基準にする。

現在持てるものに感謝して、今出来ることに集中する。

そんな感じで、どこまでこの先続けて行けるかな?


 

 

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